<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom"><title>HakoniWa Labo</title><link href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com"></link><subtitle>HakoniWa　×　ガストロノミ&#xA;&#xA;「愉しみ」と「愉しむ」の研究所&#xA;&#xA;“おもしろき　こともなき世を　おもしろく&#xA;  すみなすものは心なりけり”</subtitle><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com</id><author><name>ペタス</name></author><updated>2020-06-05T14:21:18+00:00</updated><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.25／改めましてHakoniWaガストロノミ]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/8397339/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/d495e63dc90cd67e1575e8d4667455d7_5b89c5c3b4dab02f68f6191adb689cbf.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/8397339</id><summary><![CDATA[なんだか騒々しく、世知辛いこのご時世の中、それでも相も変わらず時は過ぎていくわけで腹が減って、飯を食うわけで…国破れて山河あり、みたいな…時世に流されず、でも抗わずいきたいなと思うわけです。こんな時だからこそ改めて、ブログを書く意義を考えます。このブログの目的に立ち戻る。このブログの目的は自己対話、自分自身の思考の整理整頓にある。その思考とは、何についての思考であるのか？それは、私はいかに生きたいか？ということについての思考の整理整頓。私は一体、いかに生きたいか？私は、私の人生を豊かに生きたい豊かに生きるとはどういうことか？それは、人それぞれの価値観から抽出されるものであり、私自身のそれを図示したものが、HakoniWaマンダラである。]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2020-06-05T14:21:18+00:00</published><updated>2020-06-05T14:24:15+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>なんだか騒々しく、世知辛いこのご時世の中、それでも相も変わらず時は過ぎていくわけで</p><p>腹が減って、飯を食うわけで…国破れて山河あり、みたいな…</p><p>時世に流されず、でも抗わずいきたいなと思うわけです。</p><p>こんな時だからこそ改めて、ブログを書く意義を考えます。</p><p>このブログの目的に立ち戻る。</p><p>このブログの目的は自己対話、自分自身の思考の整理整頓にある。</p><p>その思考とは、何についての思考であるのか？</p><p>それは、私はいかに生きたいか？ということについての思考の整理整頓。</p><p>私は一体、いかに生きたいか？</p><p>私は、私の人生を豊かに生きたい</p><p>豊かに生きるとはどういうことか？</p><p>それは、人それぞれの価値観から抽出されるものであり、</p><p>私自身のそれを図示したものが、HakoniWaマンダラである。</p><p><br></p>
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/d495e63dc90cd67e1575e8d4667455d7_5b89c5c3b4dab02f68f6191adb689cbf.jpg?width=960" width="100%">
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			<p>HakniWa（ハコニワ）をガストロノミすること。</p><p>それが、私にとって豊かに生きるということ。</p><p>では、それは具体的になにか？</p><p>私自身とそれに連なる世界、社会をHakoniWaとする。</p><p>そのHakoniWaをガストロミする。</p><p>ガストロノミする＝アクション＝慈しむ、美味しく味わう、愉しむ</p><p>ということ</p><p>あるもの、であること、を慈しむ</p><p>HakoniWaガストロノミ＝私自身、とそれに連なる世界、社会をいかに楽しむか、愉しむか</p><p>ということ。</p><p>HakoniWaガストロノミ＝私自身の楽しみを追究し、それでもっていかに（私に連なる）世界、社会に貢献するか？ということ</p><p><br></p><p>私のHakoniWaマンダラを読み解くに</p><p>「社会」の考察がこのHakoniWaを楽しむ、基幹となる。</p><p><br></p><p>HakoniWaとして、楽しむべく対象として「社会」という切り口を</p><p>見たのは、私自身であり、追究すべく興味関心の対象である「社会」</p><p>「社会」に対するコミットメントが「志」であり、その手段が「仕事」である、</p><p>と考える。</p><p>「社会」の考察が、興味関心であり、その追究の試行錯誤の先に「専門分野」ができあがるのではないと考える。</p><p>楽しみの追究として、興味関心の対象たる「社会」を基幹に置きつつ</p><p>徒然なる戯言を吐いていこうと思う。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.24　嗜みの道ｗ]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/7493739/"></link><link rel="enclosure" type="image/png" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/c31f0d148439d29108287bd38cbfd2ae_61a704be7524356385616cf93c27f59f.png"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/7493739</id><summary><![CDATA[前回、私のHakoniWaガストロノミの核心はこれだとして豊かに生きるために、豊かな社会、豊かな文化をつくりたいそれは、国民的議論を通じて、感性を磨き、深めるとした。そこをもう少し補足的に。愉しみとして、豊かに生きるために、豊かな社会を作りたい。豊かな社会とは、豊かな愉しみのある社会ではないかと考える。そのことを基層、素地として人の営みを行うことで豊かな文化が育まれそれが豊かな社会を形成すると考える。ここで言う文化とは、アートや流行のようなハイカルチャーではなく人の営み、人たる営み、その志向というのか、本来持っていると考える真善美に対する追究心、その精神活動とそれに伴う営みの全てを文化と捉える。その文化的素地をつくりたい。または、文化的素地を育む触媒的な役割を担いたいな、と。それをHakoniWaラボとしたいな、と。その文化的素地を育むにはどうすればいいいのかなとそれが嗜みではないか、と。つまり、嗜道（笑）教養と修養は似て非なる言葉だと感じる。グーグル先生曰く、教養とは、学問・知識を（一定の文化理想のもとに）しっかり身につけることによって養われる、心の豊かさ修養とは、その一般的な意味としても、知識を高め、品性を磨き、自己の人格形成につとめることとある。つまり、目指すべく状態が、教養、もしくは教養あると表現されるものであり、そこまでの道のり、それを目指すべく行動のことを修養を言うのだろうと考える。こういう意味でいうと、ガストロノミも嗜みも、修養の一環、近しい意味であると考える。修養というと、ものすごくカタく、構えてしまう向きがあるので、少し崩した感じ、肩の力を抜いて、楽しむ要素を入れて、嗜み、ガストロノミといったように表現したいと思う。ここまでのことを踏まえたうえで、私の考える嗜み、私にとっての嗜みの一つが社会を考えること、と感じるのです。その方法として、インプットとアウトプットがあり、それがインプット→日々の学び、読書等々アウトプット→対話、議論、討論この対話、議論、討論として、国民的議論的なものが必要だなと感じるのです。ここで、まず確認すべきことは、国民的議論とはなにか？ということ。グーグル先生曰く…ようわからん…というか、コレ！といったまるまる合致するものがない。それは、憲法や国際法みたいなものだなと感じた。憲法や国際法もコレ！といった、まるまる合致するものはなく、形式的な意味での憲法典、現在でいうところの日本国憲法、やその他様々な法令、とその運用実績と我が国の歴史、歴史的経緯などの実質的な意味のものも総称して、憲法という。国際法も、国際法という法律があるわけではなく、これまでの様々な国際的な取り決め、その運用からあぶり出されるものを国際法と呼ぶわけである。国民的議論についても同じようなことが言えると考える。様々なところでされている、色々な規模の議論、意見、経緯を総称するとで国民的議論とされるものが形成させると考える。つまり、国民的議論というのであるから、大小、古今東西、様々にある議論で国民的という視座でフィルタリングしたものの総称を国民的議論と呼ぶのだと考える。そう考えると、規模はどうであれ、その会話、対話、議論において国民的視座というものを持ったものであれば、国民的議論を形成する一環となりうると考えることができる。そういった対話形成、実践をHakoniWaラボとして目指していきたいな、と考える。お粗末さまでした。]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2019-12-25T21:46:56+00:00</published><updated>2019-12-25T21:50:59+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p class="">前回、私のHakoniWaガストロノミの核心はこれだとして</p><p class="">豊かに生きるために、豊かな社会、豊かな文化をつくりたい</p><p>それは、国民的議論を通じて、感性を磨き、深める</p><p>とした。</p><p><br></p><p>そこをもう少し補足的に。</p><p>愉しみとして、豊かに生きるために、豊かな社会を作りたい。</p><p>豊かな社会とは、豊かな愉しみのある社会ではないかと考える。</p><p>そのことを基層、素地として人の営みを行うことで豊かな文化が育まれ</p><p>それが豊かな社会を形成すると考える。</p><p><br></p><p>ここで言う文化とは、アートや流行のようなハイカルチャーではなく</p><p>人の営み、人たる営み、その志向というのか、本来持っていると考える</p><p>真善美に対する追究心、その精神活動とそれに伴う営みの全てを文化と捉える。</p><p>その文化的素地をつくりたい。</p><p>または、文化的素地を育む触媒的な役割を担いたいな、と。</p><p>それをHakoniWaラボとしたいな、と。</p><p><br></p><p>その文化的素地を育むにはどうすればいいいのかなと</p><p>それが嗜みではないか、と。</p><p>つまり、嗜道（笑）</p><p><br></p><p>教養と修養は似て非なる言葉だと感じる。</p><p>グーグル先生曰く、</p><p>教養とは、学問・知識を（一定の文化理想のもとに）しっかり身につけることによって養われる、心の豊かさ</p><p>修養とは、その一般的な意味としても、知識を高め、品性を磨き、自己の人格形成につとめること</p><p>とある。</p><p><br></p><p>つまり、目指すべく状態が、教養、もしくは教養あると表現されるものであり、</p><p>そこまでの道のり、それを目指すべく行動のことを修養を言うのだろうと考える。</p><p>こういう意味でいうと、ガストロノミも嗜みも、修養の一環、近しい意味であると考える。</p><p>修養というと、ものすごくカタく、構えてしまう向きがあるので、少し崩した感じ、</p><p>肩の力を抜いて、楽しむ要素を入れて、嗜み、ガストロノミといったように表現したいと思う。</p><p><br></p><p>ここまでのことを踏まえたうえで、私の考える嗜み、私にとっての嗜みの一つが</p><p>社会を考えること、と感じるのです。</p><p><br></p><p>その方法として、インプットとアウトプットがあり、それが</p><p>インプット→日々の学び、読書等々</p><p>アウトプット→対話、議論、討論</p><p>この対話、議論、討論として、国民的議論的なものが必要だなと感じるのです。</p><p><br></p><p>ここで、まず確認すべきことは、国民的議論とはなにか？ということ。</p><p>グーグル先生曰く…</p><p>ようわからん…</p><p>というか、コレ！といったまるまる合致するものがない。</p><p><br></p><p>それは、憲法や国際法みたいなものだなと感じた。</p><p>憲法や国際法もコレ！といった、まるまる合致するものはなく、形式的な意味での憲法典、</p><p>現在でいうところの日本国憲法、やその他様々な法令、とその運用実績と我が国の歴史、歴史的経緯などの実質的な意味のものも総称して、憲法という。</p><p>国際法も、国際法という法律があるわけではなく、これまでの様々な国際的な取り決め、その運用からあぶり出されるものを国際法と呼ぶわけである。</p><p><br></p><p>国民的議論についても同じようなことが言えると考える。</p><p>様々なところでされている、色々な規模の議論、意見、経緯を総称するとで国民的議論と</p><p>されるものが形成させると考える。</p><p><br></p><p>つまり、国民的議論というのであるから、大小、古今東西、様々にある議論で国民的という</p><p>視座でフィルタリングしたものの総称を国民的議論と呼ぶのだと考える。</p><p><br></p><p>そう考えると、規模はどうであれ、その会話、対話、議論において国民的視座というものを持ったものであれば、国民的議論を形成する一環となりうると考えることができる。</p><p>そういった対話形成、実践をHakoniWaラボとして目指していきたいな、と考える。</p><p><br></p><p>お粗末さまでした。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.23HakoniWaガストロノミその核心]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/7439826/"></link><link rel="enclosure" type="image/png" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/c31f0d148439d29108287bd38cbfd2ae_61a704be7524356385616cf93c27f59f.png"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/7439826</id><summary><![CDATA[これまでは、社会とは何かについて考察してきた。社会とは人の営みの集合と集積であること、人々の公的部分の集合であること、と観てとれたここから、さらに考察を進めていく。その、方向性／切り口、としては、その社会に生きる一人間として、この社会なるものをいかにして楽しむか、いうことにある。いかに、物事を観たとしても、それをいかに活かすか。それが、自分にとってどうなのか。それをもって自分はどうするか、いかに楽しむか、が最も重要であると考える。いち一般人として、学者の意見や学問的研究の成果物に対しても、同様の態度を取りたいものである。その研究をいかに楽しむために活かすか。その考えを、ガストロノミと呼びたい。ガストロノミとはそのものの語の意味としては、食べ手の視座を持つこと。つまり、自分自身の態度のことを表すものである、と考える。主体として、自身がいかに美味しく食べるか、というアプローチであると考える。HakoniWa、つまり、私（たち）の身の回りのモノやコトを観て、いかに楽しむか。それがコンセプトHakoniWa　×　ガストロノミ社会の愉しみ方、つまり私なりの社会の楽しみ方についてどう考えるか。私の社会のガストロノミとは…それは、「国民」という視座も持つこと。そして、国民的議論をする、ということ。そもそも、私が「社会」や「国民」というものについて考えるきっかけになったのは日々、テレビのニュースや各種SNSで、たくさんのニュースに触れる時にそのコメントを聞くにつれ、特にSNSのコメントを見るにつれ、げんなりしてしまったこととてもじゃないが、議論になってない、建設的議論になっていないま、そもそもそういう建設的議論をする場ではないのかも知れないが…では、そういう建設的な議論をする場があるか？いろいろなニュースについて、それが自分の、自分たちの問題として捉えてそれについて、解決策や打開策を模索するような、そんな建設的議論をする場に触れる機会はあるか？自分勝手で、ストレス発散のようなコメントばかりが溢れるSNSや、ポジショントークと忖度コメントのテレビニュースよく聞くけどそれなに？って思うフレーズ「国民的議論が必要ですね」それってなに？どこにあるの？っていうのが、国民的視座を考えようと思うきっかけで、それをいかに形成するのか、それはつまり国民的議論なるものではないのかそれを感じないなら、つくりたいなと思ったのが、このブログのきっかけでもあります今まで、いろいろツラツラと書いてきたのは、この「国民的議論をつくりたい！」につなげたいがためのいろんなこねくり回しでした、って話です。つまり、私のHakoniWaガストロノミの核心はこれです豊かに生きるために、豊かな社会、豊かな文化をつくりたいそれは、国民的議論を通じて、感性を磨き、深めるそれが愉しみである、と感性を磨くなんて、大上段に言うてしまったが、単に広く議論をすること（規模ではなく視点）を楽しみたいなと思っただけで、一種の大人の嗜み的に楽しみたいなと酒、コーヒー、タバコも大人の嗜みそんな嗜みに国民的議論も加えて、HakoniWaガストロノミテニスは庭球バレーボールは排球茶の湯の道は茶道花の道は華道HakoniWaガストロノミはガストロノミの道それは嗜みの道ということで「嗜道」と、おふざけが過ぎたようでお粗末さまでした。]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2019-12-14T02:25:41+00:00</published><updated>2019-12-23T21:49:14+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p class="">これまでは、社会とは何かについて考察してきた。</p><p>社会とは人の営みの集合と集積であること、人々の公的部分の集合であること、と観てとれた</p><p>ここから、さらに考察を進めていく。</p><p><br></p><p>その、方向性／切り口、としては、その社会に生きる一人間として、この社会なるものをいかにして楽しむか、いうことにある。</p><p><br></p><p>いかに、物事を観たとしても、それをいかに活かすか。</p><p>それが、自分にとってどうなのか。</p><p>それをもって自分はどうするか、いかに楽しむか、が最も重要であると考える。</p><p>いち一般人として、学者の意見や学問的研究の成果物に対しても、同様の態度を取りたいものである。その研究をいかに楽しむために活かすか。</p><p>その考えを、ガストロノミと呼びたい。</p><p><br></p><p>ガストロノミとはそのものの語の意味としては、食べ手の視座を持つこと。</p><p>つまり、自分自身の態度のことを表すものである、と考える。</p><p>主体として、自身がいかに美味しく食べるか、というアプローチであると考える。</p><p><br></p><p>HakoniWa、つまり、私（たち）の身の回りのモノやコトを観て、いかに楽しむか。</p><p>それがコンセプトHakoniWa　×　ガストロノミ</p><p>社会の愉しみ方、つまり私なりの社会の楽しみ方についてどう考えるか。</p><p><br></p><p>私の社会のガストロノミとは…</p><p>それは、「国民」という視座も持つこと。</p><p>そして、国民的議論をする、ということ。</p><p>そもそも、私が「社会」や「国民」というものについて考えるきっかけになったのは</p><p>日々、テレビのニュースや各種SNSで、たくさんのニュースに触れる時に</p><p>そのコメントを聞くにつれ、特にSNSのコメントを見るにつれ、げんなりしてしまったこと</p><p>とてもじゃないが、議論になってない、建設的議論になっていない</p><p>ま、そもそもそういう建設的議論をする場ではないのかも知れないが…</p><p>では、そういう建設的な議論をする場があるか？</p><p>いろいろなニュースについて、それが自分の、自分たちの問題として捉えて</p><p>それについて、解決策や打開策を模索するような、そんな建設的議論をする場に</p><p>触れる機会はあるか？</p><p>自分勝手で、ストレス発散のようなコメントばかりが溢れるSNSや、ポジショントークと忖度コメントのテレビニュース</p><p>よく聞くけどそれなに？って思うフレーズ「国民的議論が必要ですね」</p><p>それってなに？どこにあるの？</p><p>っていうのが、国民的視座を考えようと思うきっかけ</p><p>で、それをいかに形成するのか、それはつまり国民的議論なるものではないのか</p><p>それを感じないなら、つくりたいなと思ったのが、このブログのきっかけでもあります</p><p>今まで、いろいろツラツラと書いてきたのは、この「国民的議論をつくりたい！」に</p><p>つなげたいがためのいろんなこねくり回しでした、って話です。</p><p>つまり、私のHakoniWaガストロノミの核心はこれです</p><p>豊かに生きるために、豊かな社会、豊かな文化をつくりたい</p><p>それは、国民的議論を通じて、感性を磨き、深める</p><p>それが愉しみである、と</p><p><br></p><p>感性を磨くなんて、大上段に言うてしまったが、単に広く議論をすること（規模ではなく視点）を楽しみたいなと思っただけで、一種の大人の嗜み的に楽しみたいなと</p><p>酒、コーヒー、タバコも大人の嗜み</p><p>そんな嗜みに国民的議論も加えて、HakoniWaガストロノミ</p><p>テニスは庭球</p><p>バレーボールは排球</p><p>茶の湯の道は茶道</p><p>花の道は華道</p><p>HakoniWaガストロノミはガストロノミの道</p><p>それは嗜みの道ということで「嗜道」</p><p>と、おふざけが過ぎたようで</p><p>お粗末さまでした。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.22HakoniWa的社会の考察ーあるものを観よー]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/7341368/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/074.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/7341368</id><summary><![CDATA[前回↓「公」と「私」がともにあり、ともに充実してこそ、お互いの豊かさが実現されるのではないかと考える。「公」と「私」をともに、楽しむ、愉しむことが大切であるな、と思うのです。同じ楽しむ、愉しむと表現しても「公」と「私」に対するものでは、その考え方、捉え方、方法はそれぞれに全く別ものになるとは思いますが。とした。もう少し補足的に楽しむ、愉しむ、というのは主観的であり、どこまでいっても私自身がそう感じるかどうか、という話である。その「私自身」という存在を観た時に、ヒトは完全に「私」的要素だけでは存在していないということが観れる。ヒトの営みにとって空気のように存在するのが「社会」である。ヒトの営みあるところに「社会」は存在する。ということは、「私個人」という存在を観た時に、極めて「私」的な部分と「公的」な部分があって初めて一個の「私」を形成していると観ることができる。社会と個人において、それぞれが対峙しているのではなく、社会というもの自体私たちの「公」的部分の重なりが形成している。まさに、一心同体のものである。一蓮托生というほうが表現としては良いのかも知れない。イメージ図]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2019-11-24T12:00:15+00:00</published><updated>2019-11-25T11:51:39+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p class="">前回↓</p><p class="">「公」と「私」がともにあり、ともに充実してこそ、お互いの豊かさが実現されるのではないかと考える。</p><p>「公」と「私」をともに、楽しむ、愉しむことが大切であるな、と思うのです。</p><p>同じ楽しむ、愉しむと表現しても「公」と「私」に対するものでは、その考え方、捉え方、方法はそれぞれに全く別ものになるとは思いますが。</p><p>とした。</p><p>もう少し補足的に</p><p>楽しむ、愉しむ、というのは主観的であり、どこまでいっても私自身がそう感じるかどうか、という話である。</p><p>その「私自身」という存在を観た時に、ヒトは完全に「私」的要素だけでは存在していないということが観れる。</p><p>ヒトの営みにとって空気のように存在するのが「社会」である。</p><p>ヒトの営みあるところに「社会」は存在する。</p><p class="">ということは、「私個人」という存在を観た時に、極めて「私」的な部分と「公的」な部分があって初めて一個の「私」を形成していると観ることができる。</p><p><br></p><p>社会と個人において、それぞれが対峙しているのではなく、社会というもの自体</p><p>私たちの「公」的部分の重なりが形成している。</p><p>まさに、一心同体のものである。一蓮托生というほうが表現としては良いのかも知れない。</p><p class=""><br></p><p class="">イメージ図</p>
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			<p class=""><br></p><p class="">このイメージ図を例にとると、個人の存在の集合（またはその蓄積）そのものが社会を形成している。<br></p><p>その個人は「私」的部分と「公」的部分で構成されており、それぞれの「公」的部分の重なり、結合によって社会を形成している。</p><p>「公」的部分はその「私」的部分の緩衝材的な役割をしているとも観れる。</p><p>実際、「公」をないがしろにして、「私」を主張すれば、他人を傷つけてしまう、また自分自身も傷つけてしまうことがあることは容易に想像できる。</p><p><br></p><p>この私の中の「公」的部分というのは、新しい概念というのではなく、そう存在しているもの、あるものである。<br></p><p>つまり、「あるものを楽しもう」とするコンセプトHakoniWa的に、その対象としたいものであると考える。</p><p>今まで、ないがしろにしていた、あること／あるものをあると認め、認識すること。</p><p>それらを拒否するのではなく、受け入れて、いかに楽しむかっていうところが大切であると考える。</p><p><br></p><p>こういった視点で物事を見ること、またはそういう視点を一つ増やすことで、社会や</p><p>そのあり方、または人生やそのあり方を豊かに捉えなすことができるのではないかと考える。</p><p>今日はこのあたりで</p><p>お粗末さまでした…</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.21　HakoniWa的社会の考察ー後世への最大遺物を考えるー]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/7155554/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/074.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/7155554</id><summary><![CDATA[「生きる目的（意義）」＝「生きる」×「目的（意義／意味）」　　　　　　　＝「愉しみ（自分なりの楽しみ）」×「方向性／ベクトル」　　　　　　　＝「愉しみ」×「志（後世への最大遺物としての社会、その形成に貢献する）」　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン×意思」　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン」×「意思（生きる意義の模索として、社会において何らかの役割を果たしたい）　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン（社会とは後世への遺物たる最大のものである）」×「意思（生きる意義の模索として、社会において何らかの役割を果たしたい）ビジョン＝後世への最大遺物とは社会である意思＝その社会の形成において何らかの役割を担いたい、貢献したいここでまず、ビジョンからその考察を深めていく内村鑑三著の「後世への最大遺物」から、そのキッカケをもらったが同著には、後世への最大遺物はその高尚なるなる生涯である、という結論であったと認識している。そこへ、私なりの考えを加える。いかに、高尚なるものであっても、それが個別というか、個々に存在するだけではそれが最大と呼べるだろうか？ともすると独りよがりなものにならないだろうか。平々凡々なる一個人（私です）からすると確かに、残し得る最大のものはその生涯であると同意する。しかし、ヒトは決して一人で生きているわけではない。ヒトの営み（生涯）の集合と集積が社会であると考える。ヒトの営み”ある”ところに、そこにはその相互関係と集積がかならず”ある”。社会とはヒトの営みの集合（相互関係）と集積である。その「高尚なる」意義を、その社会へと帰結することができれば、つなげることができればそれこそが、まさに最大遺物と成るのではないかと考える。では、そこでいう「社会」とは実際、なになのか？それは、主観的な視座から考える。この、平々凡々たる私自分自身の社会的立場で最大のものはなにか？すでに、自分自身が置かれている立場で、最大のものはなにか？それが国民であるという事実ではないか、と考える。つまり、平々凡々たる個人（現代に生きる個人）にとって、後世への最大遺物たるものは、その生涯であり、それは社会へ帰結するものであり、その場合の社会とは国・国家である。 それはなにも、お国のために滅私奉公としよう、とかそういうのではない。私はこう考える。我々、ヒトは一人では生きられない。つまり、社会はそこに必ず存在するのであって、ヒトの営みには、「私」的なものと「公」的なものがある。「私」も「公」もともに、大切なもので、車の両輪みたいなものではないか。そのバランスと、両方の充実が大事なんではないか、と考えるわけである。それは、一個人の生涯の中でバランスを取るのか、社会を見てバランスを取るのかは、また考える余地があると思うが…（私個人的には、今、そのバランスは「私」のほうにばかり重きが置かれているのではないかな、と考えるわけです。「私」ばかりに重点を置くとかえって「私」の充実が阻害されてしまうようなことにならないかと懸念するわけです。）その社会の要石みないなものが、国・国家ではないかと考えるのです。個人、を個人足らしめているのは国（政府）であり、その個人（国民）の主権の及ぶ最大のものが国家であり、世界（国家間、国際的）に発言、対話をするのは国家という単位が最重要視されている。（もちろん、グローバル資本やその他の非政府間の交流等も存在するが、そこにも国家間により規制されることはあると思うので）個々があまねく、その主権を有する、というところではやはり、国家という単位が最大であると考える。 この「公」と「私」、も相乗的関係にあると考える。「私」としての充実やその方向性は各々の全くの自由のあるところだと考える。「公」なきところの「私」の追求は、北斗の拳の世界である。「公」と「私」がともにあり、ともに充実してこそ、お互いの豊かさが実現されるのではないかと考える。「公」と「私」をともに、楽しむ、愉しむことが大切であるな、と思うのです。同じ楽しむ、愉しむと表現しても「公」と「私」に対するものでは、その考え方、捉え方、方法はそれぞれに全く別ものになるとは思いますが。今日の戯言はこのあたりで…]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2019-10-19T20:41:45+00:00</published><updated>2019-10-19T21:24:43+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<img src="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/074.jpg?width=960" width="100%">
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			<p class="">「生きる目的（意義）」＝「生きる」×「目的（意義／意味）」</p><p>　　　　　　　＝「愉しみ（自分なりの楽しみ）」×「方向性／ベクトル」</p><p>　　　　　　　＝「愉しみ」×「志（後世への最大遺物としての社会、その形成に貢献する）」</p><p>　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン×意思」</p><p>　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン」×「意思（生きる意義の模索として、社会において何らかの役割を果たしたい）</p><p>　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン（社会とは後世への遺物たる最大のものである）」×「意思（生きる意義の模索として、社会において何らかの役割を果たしたい）</p><p>ビジョン＝後世への最大遺物とは社会である</p><p>意思＝その社会の形成において何らかの役割を担いたい、貢献したい</p><p>ここでまず、ビジョンからその考察を深めていく</p><p>内村鑑三著の「後世への最大遺物」から、そのキッカケをもらったが</p><p>同著には、後世への最大遺物はその高尚なるなる生涯である、という結論であったと</p><p>認識している。</p><p>そこへ、私なりの考えを加える。</p><p>いかに、高尚なるものであっても、それが個別というか、個々に存在するだけでは</p><p>それが最大と呼べるだろうか？</p><p>ともすると独りよがりなものにならないだろうか。</p><p>平々凡々なる一個人（私です）からすると確かに、残し得る最大のものはその生涯であると同意する。</p><p>しかし、ヒトは決して一人で生きているわけではない。</p><p>ヒトの営み（生涯）の集合と集積が社会であると考える。</p><p>ヒトの営み”ある”ところに、そこにはその相互関係と集積がかならず”ある”。</p><p>社会とはヒトの営みの集合（相互関係）と集積である。</p><p><br></p><p>その「高尚なる」意義を、その社会へと帰結することができれば、つなげることができれば</p><p>それこそが、まさに最大遺物と成るのではないかと考える。</p><p><br></p><p>では、そこでいう「社会」とは実際、なになのか？</p><p>それは、主観的な視座から考える。</p><p>この、平々凡々たる私自分自身の社会的立場で最大のものはなにか？</p><p>すでに、自分自身が置かれている立場で、最大のものはなにか？</p><p>それが国民であるという事実ではないか、と考える。</p><p>つまり、平々凡々たる個人（現代に生きる個人）にとって、後世への最大遺物たるものは、その生涯であり、それは社会へ帰結するものであり、その場合の社会とは国・国家である。</p><p><br></p><p> </p><p>それはなにも、お国のために滅私奉公としよう、とかそういうのではない。</p><p>私はこう考える。</p><p>我々、ヒトは一人では生きられない。</p><p>つまり、社会はそこに必ず存在するのであって、ヒトの営みには、「私」的なものと「公」的なものがある。</p><p>「私」も「公」もともに、大切なもので、車の両輪みたいなものではないか。<br></p><p>そのバランスと、両方の充実が大事なんではないか、と考えるわけである。</p><p>それは、一個人の生涯の中でバランスを取るのか、社会を見てバランスを取るのかは、また考える余地があると思うが…</p><p>（私個人的には、今、そのバランスは「私」のほうにばかり重きが置かれているのではないかな、と考えるわけです。「私」ばかりに重点を置くとかえって「私」の充実が阻害されてしまうようなことにならないかと懸念するわけです。）</p><p><br></p><p>その社会の要石みないなものが、国・国家ではないかと考えるのです。</p><p>個人、を個人足らしめているのは国（政府）であり、その個人（国民）の主権の及ぶ</p><p>最大のものが国家であり、世界（国家間、国際的）に発言、対話をするのは国家という単位が最重要視されている。</p><p>（もちろん、グローバル資本やその他の非政府間の交流等も存在するが、そこにも国家間により規制されることはあると思うので）</p><p>個々があまねく、その主権を有する、というところではやはり、国家という単位が最大であると考える。</p><p> </p><p>この「公」と「私」、も相乗的関係にあると考える。</p><p>「私」としての充実やその方向性は各々の全くの自由のあるところだと考える。</p><p>「公」なきところの「私」の追求は、北斗の拳の世界である。</p><p>「公」と「私」がともにあり、ともに充実してこそ、お互いの豊かさが実現されるのではないかと考える。</p><p>「公」と「私」をともに、楽しむ、愉しむことが大切であるな、と思うのです。</p><p>同じ楽しむ、愉しむと表現しても「公」と「私」に対するものでは、その考え方、捉え方、方法はそれぞれに全く別ものになるとは思いますが。</p><p><br></p><p>今日の戯言はこのあたりで…</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.20HakoniWa的発想の転換ービジョンはそこにあったー]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/6750157/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/074.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/6750157</id><summary><![CDATA[何度か登場している、私の根源的問いの三位一体の恒等式「生きる目的」＝「生きる」×「目的」　　　　　　　＝「愉しみ（自分なりの楽しみ）」×「方向性／ベクトル」　　　　　　　＝「愉しみ」×「志」　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン×意思」　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン」×「意思（後世への最大遺物としての社会の形成に貢献する）」ここから、ビジョンとは？社会への考察をしていこう、と進めてきたが、先に進むためにも振り返って見直したところ、ある気づきを得られた。それは、上記恒等式において、「意思（後世への最大遺物としての社会の形成に貢献する）」としていたものが、実は少しニュアンスというか、あてはめ方が違っていたのではないかということである。それはつまり、「後世への最大遺物としての社会の形成に貢献する」は「意思」ではなく、「志」つまり、「ビジョン×意思」に当てはまるのではないか、ということ。であるならば、「意思」は？となると、「意思」としては、生きること、何のために生きるのか？について実践的（実際に生きること、いかに生きるか）に考えたい、その人生、生きることにおいて、その意味や意義を感じたい、感じながら生きたい。（実際の意味や意義は死んだ後にわかる、人からの評価だとしても）そのために、社会において何らかの役割を果たしたい、担いたい。というところなんではないかと、発想の転換が起こった。つまり、「生きる目的」＝「生きる」×「目的」　　　　　　　＝「愉しみ（自分なりの楽しみ）」×「方向性／ベクトル」　　　　　　　＝「愉しみ」×「志（後世への最大遺物としての社会、その形成に貢献する）」　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン×意思」　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン」×「意思（生きる意義の模索として、社会において何らかの役割を果たしたい）　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン（社会とは後世への遺物たる最大のものである）」×「意思（生きる意義の模索として、社会において何らかの役割を果たしたい）となる。はっきり言う。めちゃスッキリした。自分自身が考えとったことが明文化されることでこんなにもスッキリするのかと。それとともに、やはり、答えはすでにあったんだなと、それが答えだと捉えることができるかどうかということ、まさにHakoniWa的視点が必要であるということ。あるものをあるものと認識する、捉える、ということ。ただ大切なことは、この目的、「ビジョン×意思」を「愉しみ」と摺り合わせ、具体的な取り組み、アクションとして何をするか、何ができるかということだと思う。そこを今後、考察を深めていく。]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2019-08-12T00:14:08+00:00</published><updated>2019-09-14T12:55:41+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>何度か登場している、私の根源的問いの</p><p>三位一体の恒等式</p><p><br></p><p>「生きる目的」＝「生きる」×「目的」</p><p>　　　　　　　＝「愉しみ（自分なりの楽しみ）」×「方向性／ベクトル」</p><p>　　　　　　　＝「愉しみ」×「志」</p><p>　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン×意思」</p><p>　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン」×「意思（後世への最大遺物としての社会の形成に貢献する）」</p><p><br></p><p>ここから、ビジョンとは？社会への考察をしていこう、と進めてきたが、</p><p>先に進むためにも振り返って見直したところ、ある気づきを得られた。</p><p>それは、上記恒等式において、</p><p>「意思（後世への最大遺物としての社会の形成に貢献する）」</p><p>としていたものが、実は少しニュアンスというか、あてはめ方が違っていたのではないかということである。</p><p><br></p><p>それはつまり、「後世への最大遺物としての社会の形成に貢献する」は「意思」ではなく、「志」つまり、「ビジョン×意思」に当てはまるのではないか、ということ。</p><p><br></p><div>であるならば、「意思」は？となると、</div><div>「意思」としては、生きること、何のために生きるのか？について実践的（実際に生きること、いかに生きるか）に考えたい、その人生、生きることにおいて、その意味や意義を感じたい、感じながら生きたい。（実際の意味や意義は死んだ後にわかる、人からの評価だとしても）<br></div><p>そのために、社会において何らかの役割を果たしたい、担いたい。</p><p>というところなんではないかと、発想の転換が起こった。</p><p><br></p><p>つまり、</p><p>「生きる目的」＝「生きる」×「目的」</p><p>　　　　　　　＝「愉しみ（自分なりの楽しみ）」×「方向性／ベクトル」</p><p>　　　　　　　＝「愉しみ」×「志（後世への最大遺物としての社会、その形成に貢献する）」</p><p>　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン×意思」</p><p>　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン」×「意思（生きる意義の模索として、社会において何らかの役割を果たしたい）</p><p>　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン（社会とは後世への遺物たる最大のものである）」×「意思（生きる意義の模索として、社会において何らかの役割を果たしたい）</p><div>となる。</div><p>はっきり言う。めちゃスッキリした。</p><p>自分自身が考えとったことが明文化されることでこんなにもスッキリするのかと。</p><p>それとともに、やはり、答えはすでにあったんだなと、それが答えだと捉えることができるかどうかということ、まさにHakoniWa的視点が必要であるということ。</p><p>あるものをあるものと認識する、捉える、ということ。</p><p>ただ大切なことは、この目的、「ビジョン×意思」を「愉しみ」と摺り合わせ、具体的な</p><p>取り組み、アクションとして何をするか、何ができるかということだと思う。</p><p>そこを今後、考察を深めていく。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[Hakoniwa戯言Vol.19ビジョンを考える-HakoniWaガストロノミの基層-]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/6687067/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/073.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/6687067</id><summary><![CDATA[これまで、見てきた通り「後世への最大遺物たる社会の形成に貢献すること」を自らの意思として、文化というものを以ってアプローチしていこうと考えている。そこをさらに具体的にどうするか？というところに考察を進めようとしている。そこで、前回ビジョンと意思のすり合わせ、掛け合わせをしていくということになった。では、ビジョンとはなにか？]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2019-08-07T09:30:16+00:00</published><updated>2019-08-07T09:30:18+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<img src="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/073.jpg?width=960" width="100%">
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			<div class=""><p>これまで、見てきた通り「後世への最大遺物たる社会の形成に貢献すること」を自らの意思として、文化というものを以ってアプローチしていこうと考えている。</p><p>そこをさらに具体的にどうするか？</p><p>というところに考察を進めようとしている。</p><p>そこで、前回ビジョンと意思のすり合わせ、掛け合わせをしていくということになった。</p><p><br></p><p>では、ビジョンとはなにか？</p></div>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<div class=""><p class="">「ビジョン」とは、企業や市場や社会において、「これから何が起こるのか？」についての客観的洞察である。</p><p class="">引用-<a href="https://www.amazon.co.jp/%E7%9F%A5%E6%80%A7%E3%82%92%E7%A3%A8%E3%81%8F%E2%80%95-%E3%80%8C%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%94%B0%E5%9D%82-%E5%BA%83%E5%BF%97/dp/4334038018/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&amp;keywords=%E7%94%B0%E5%9D%82%E5%BA%83%E5%BF%97+%E7%9F%A5%E6%80%A7&amp;qid=1564691658&amp;s=gateway&amp;sr=8-1" class="u-lnk-clr">知性を磨く「スーパージェネラリスト」の時代　田坂広志著</a>-</p></div>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<div class=""><p class="">私は考える。</p><p class="">このビジョンというもの、少し表現を変えれば、「あることを見る」ことにもなる。</p><p class="">それはコンセプトHakoniWaにも通じるのではないか、と。<br></p><p class=""><br></p><p class="">コンセプトHakoniWaは「あるもの」をいかに楽しむか、楽しもう！とすることだが</p><p class="">ここで、「あるもの」をいかに「あるもの」として捉えるか、見るか、というのが非常に重要になると考える。</p><p class="">この「あるもの」とそのあるものの「楽しみ方」を自分なりに考え図示したのがHakoniWa曼荼羅である。↓</p><p class=""><br></p></div>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/d495e63dc90cd67e1575e8d4667455d7_5b89c5c3b4dab02f68f6191adb689cbf.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<div class=""><p class="">HakoniWa曼荼羅を眺めながら考える、「志」をひとまず「意思」として、後世への最大遺物としての「社会」の形成への貢献を目指して、「専門分野」なんて立派なものはないから、「パーソナリティ」自分の特性、自分の興味／関心に伴う知識や経験、を糧にしたものを「仕事」にすることで、今の「社会」に対してアプローチできないかなぁ…なんてことを…<br></p><p><br></p><p>HakoniWa-ガストロノミ的にビジョンを考えると、それはまずは、なにを「あるもの」として捉えるか、そして、いかにそれを見るか。つまり、考察をするか。</p><p><br></p><p>そこでまず、自分自身が何を「あるもの」と見るのか？<br></p><p>HakoniWa曼荼羅に示す通り、それは「志」、「社会」、「仕事」、「パーソナリティ」である。</p><p>これらについて考察をすることで、ビジョンが見えてくるのではないかと考える。　</p><p><br></p><p>この、４つの「あるもの」（４つの要素とする）は、互い規定しあっている関係だと見て取れる。</p><p>イメージがこれ↓</p></div>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/9c606aeadb11133677e4b177ddd9e5c6_3e1b004230983851f275488cab69d372.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p>こうして見ると、４つの要素の中で、軸となるのは「社会」と「パーソナリティ」であり、この２つの要素も互いに規定しあっていることと、パーソナリティ（自分らしさ？）については</p><p>自分探しみたいになり、ガッツリ向き合うとそれはそれでどツボにハマりそう…ということを勘案すると、「社会」を考察することで、その考察する本人の「パーソナリティ」も浮かび上がってくるのではないかと考える。</p><p>「社会」というのは広範であり、考察するには必ず切り口が必要となる。</p><p>その切り口に何を持ってくるか、でその「パーソナリティ」が見えてくると考える。</p><p><br></p><p>つまり、「社会」に対する考察をしていくことが私のHakoniWa-ガストロノミの基層をなすと考える。</p><p>愉しみの追究の基層として、「社会」への考察をしていく。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.18HakoniWaガストロノミのお・さ・ら・い]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/6583437/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/057.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/6583437</id><summary><![CDATA[これまで、人生の目的に始まり、生きがいからの社会、文化、考察を進めてきた。文化とはヒトの営みの総称であり、そこには真善美を追究してやまないヒトとして本能的な心の働きがある。その発露が、志向や生きがいとなると考える。そこから愉しみ（自分なりの楽しみ）が見えてくるのではなかろうか。志向とは、それまでに真善美を追究する営みたる人生において培われた価値観のことである。私にとって、何の変哲もない営みの積み重ねと思うが、これまでのうん十年の、平々凡々な営み、そこから生まれた志向が「HakoniWa」と「ガストロノミ」である。「HakoniWa」とは、既に書いてきたが「あるもの」を楽しもう！とする考え方の事。その要諦は何を「あるもの」として捉えるか？いかにしてものの見方や関わり方を様々にできるか？というところにある。「ガストロノミ」とは、一般的に美食学と約されることが多いがその意味をどうこう言う訳ではなく、「美食学入門」食を楽しむ知識と知恵　佐原秋生著にある]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2019-07-10T21:34:50+00:00</published><updated>2019-07-25T14:28:28+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<img src="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/057.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p class="">これまで、人生の目的に始まり、生きがいからの社会、文化、考察を進めてきた。</p><p class="">文化とはヒトの営みの総称であり、そこには真善美を追究してやまないヒトとして本能的な心の働きがある。</p><p class="">その発露が、志向や生きがいとなると考える。</p><p class="">そこから愉しみ（自分なりの楽しみ）が見えてくるのではなかろうか。</p><p><br></p><p>志向とは、それまでに真善美を追究する営みたる人生において培われた価値観のことである。<br></p><p class=""><br></p><p class="">私にとって、何の変哲もない営みの積み重ねと思うが、これまでのうん十年の、平々凡々な営み、そこから生まれた志向が</p><p class="">「HakoniWa」</p><p class="">と</p><p class="">「ガストロノミ」</p><p class="">である。</p><p>「HakoniWa」とは、既に書いてきたが「あるもの」を楽しもう！とする考え方の事。</p><p class="">その要諦は何を「あるもの」として捉えるか？いかにしてものの見方や関わり方を</p><p class="">様々にできるか？というところにある。</p><p class=""><br></p><p class="">「ガストロノミ」とは、一般的に美食学と約されることが多いがその意味をどうこう言う訳ではなく、<a href="https://www.amazon.co.jp/%E7%BE%8E%E9%A3%9F%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80-%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%8E%E3%83%9F-%E2%80%95%E9%A3%9F%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%80%E7%9F%A5%E8%AD%98%E3%81%A8%E7%9F%A5%E6%81%B5-%E4%BD%90%E5%8E%9F-%E7%A7%8B%E7%94%9F/dp/4382056012/ref=sr_1_3?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&amp;keywords=%E7%BE%8E%E9%A3%9F%E5%AD%A6&amp;qid=1563199551&amp;s=gateway&amp;sr=8-3" class="u-lnk-clr">「美食学入門」食を楽しむ知識と知恵　佐原秋生著</a>にある</p>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<p class="">食の楽しみの大きさの決定は客体（料理そのもの）の質の他に主体（食べ手）の質、さらにその主体の生理・心理状況という要素による</p>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<p class="">との記述より、私の考えるガストロノミの要諦は、いかに良い客体を食べるかというよりも、</p><p class="">いかに主体として、その楽しみを大きくするかという姿勢、態度、行動ではないかと考える。</p><p class=""><br></p><p class="">とした時に、この「HakoniWa」を「ガストロノミ」する事が</p><p class="">、私なりの物事の楽しみ方なんじゃないかという考えに至る。</p><p class=""><br></p><p class="">「Hakoniwa-ガストロノミ」それは、</p><p class="">いかに、「あるもの」(それはなにも食べ物とは限らない)を「あるもの」として見、その客体をいかに「ガストロノミ」するかという姿勢、態度、行動をあれやこれや試行錯誤しながら楽しむ。</p><p class="">というところに私なりの楽しみ方を上手く表現できているのではないかと考える。</p><p class="">これこそが私自身の志向だと言える。</p><p class=""><br></p><p class="">以前にも書いた、三位一体の恒等式に当てはめてみると↓</p><p class="">「生きる目的」＝「生きる」×「目的」</p><p class="">　　　　　　　＝「愉しみ（自分なりの楽しみ）」×「方向性／ベクトル」</p><p class="">　　　　　　　＝「愉しみ」×「志」</p><p class="">　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン×意思」</p><p class="">　　　　　　　＝「HakoniWa-ガストロノミ」×「ビジョン×意思（後世への最大遺物としての社会の形成に貢献する）」</p><p class="">このように表される。</p><p class=""><br></p><p class="">ここで、さらになにをすればいいのか？が見えてくる。</p><p class="">まずは、この恒等式で未知数となっているのが、ビジョンである。</p><p class="">志とは、そのビジョン（未来に対する客観的な洞察）に対して、どのようにアプローチするかという具体的な意思の組み合わせである。</p><p class="">つまり、今は未知数として、”ビジョン”というのがある。</p><p class="">愉しみを一層、深めていくとともに「志（ビジョン×意思）」との組み合わせや擦り合わせていくことだと考える。</p><div><br></div><p>今回は短めにこのあたりで…</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.17文化についての考察ーHakoniWa的文化へのアプローチを考えるー]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/6475002/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/052.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/6475002</id><summary><![CDATA[・「文化」とはなにか？・「文化」にいかにアプローチするか？]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2019-06-21T13:43:53+00:00</published><updated>2019-07-11T11:56:20+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<img src="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/052.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p class="">・「文化」とはなにか？</p><p class="">・「文化」にいかにアプローチするか？</p>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<p class="">【文化】</p><p class="">出典：デジタル大辞泉（小学館）<br></p><p class="">１ 人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。カルチュア。「日本の文化」「東西の文化の交流」</p><p class="">２ 1のうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される。</p><p class="">３ 世の中が開けて生活内容が高まること。文明開化。多く他の語の上に付いて、便利・モダン・新式などの意を表す。「文化住宅」</p>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<p class="">この一般的な定義を踏まえて…</p><p class="">私はこう考える。</p><p class="">「社会」と「文化」は、ともにヒトの営みの蓄積と集合を表すものである。<br></p><p class="">「社会」とはその総体を表現し、「文化」とはその総称である。</p><p class=""><br></p><p class="">つまり、「社会」はこのヒトの営みの総体、人の世のことを言い、「文化」とは有形・無形を問わず、ヒトの営みの総称を言う。</p><p class="">その要素は、制度（政治や行政、法律等）から、その生活様式や、芸術、哲学等</p><p class="">あらゆる営みを指す。</p><p class="">それらの蓄積を歴史と言うんだと考える。</p><p><br></p><p>一人の人で例えるなら、「社会」とはその人そのもの人体を指す。</p><p>背の高い人、低い人、小太り、痩せ、肌の色、とか特徴があるように社会もその時々、規定する場所場所によってその形状(総体)にも様々ある。</p><p>そして、「文化」はその人の行動を指す。</p><p>その手とか、足とか、骨格、筋肉や脳、思考、経験、知識など(これら要素)を駆使してどんな行動をとるか、歩く、走る、寝る、飛ぶ、といった様にである。</p><p class=""><br></p><p class="">では、その「文化」にいかにアプローチするのか？</p><p class="">「文化」とはヒトの営みそのものである。</p><p class="">ここでHakoniWa的考察を加えて考えると…</p><p class="">これまで見てきたように、文化の要素とは、まさに、｢あるもの｣である。</p><p class="">それらをいかに楽しむか？ということが、いかにアプローチするか？ということになる。</p><p class="">それら要素において通底することはなにか？それが「文化」の本質であろうと考える。</p><p class="">それはなにか？</p><p class="">私はこう考える。</p><p class="">文化の本質とは、「真善美」を追究する営みである。</p><p class="">つまり、ヒトの営みとは、「真善美」を追究する営みである。</p><p class="">要素の例に出した、社会制度は集団のあり方についての「真善美」の追究であるし、</p><p class="">芸術や哲学に限らず、生活様式までも、その意識／無意識の差、またはその程度問題はあるにしろ、それらすべては「真善美」を追究することの表現と言えるのではないか。</p><p class="">そこにアプローチしていきたい。</p><p class="">なにもこの考え方自体も新たな創出ではなく、これも「あるもの」を「あるもの」として</p><p class="">見た結果である。</p><p class="">「真善美」を追究すること、これにいかにアプローチするか？</p><p class="">それは、「真善美」を追究すること、つまり自分にとって「良い」を追究すること、「価値観」や「感性」とも言い換えることができる、その感覚を養うことだと考える。</p><p class="">それは何か？と問われると、それが修養であり、教養を積むことではないだろうか。</p><p class="">では、教養とは何か？</p>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<p>きょう‐よう〔ケウヤウ〕【教養】</p><p>［名］(スル)</p><p>１ 教え育てること。</p><p>「君の子として之(これ)を―して呉れ給え」〈木下尚江・良人の自白〉</p><p>２</p><p>㋐学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。</p><p class="">㋑社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。「高い教養のある人」「教養が深い」「教養を積む」「一般教養」</p>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<p class=""><br></p><p class="">また、修養とはなにか？</p>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<p>しゅう‐よう〔シウヤウ〕【修養】</p><p>［名］(スル)知識を高め、品性を磨き、自己の人格形成につとめること。「刻苦勉励して修養を積む」「精神を修養する」</p>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<p class="">教養を積んで、自らを修養する</p><p class="">それが、各自各々の志向を生み、その集合や蓄積が文化を生み、社会をも形成する。</p><p class=""><br></p><p class="">志向とはその「真・全・美」の追究することの発露であり、行動、つまりどうするか？</p><p class="">に対する指針を示すものであろうと考える。</p><p class="">で、それが私にとっては、「後世への最大遺物としての社会形成へ貢献すること」もその一つであると考える。</p><p class="">それは、やはりなんとなしに生きてきたかもしれない、うん十年の間に培われてきたほんの少しの修養の結果なのかなと…</p><p><br></p><div>今日はこのあたりで。</div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.16社会へのアプローチ〜凡人が後世への最大遺物を考察してみる〜]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/6304168/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/073.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/6304168</id><summary><![CDATA[前回、｢後世への最大遺物は社会である。その後世への最大遺物としての社会、その形成へ貢献することが私なりの生きがいである。｣との思いに辿り着いた。その思索をさらに深めていきたい…では、社会とは何か？「コンセプトHakoniWa」的に、社会とは「あるもの」、私や個々人が特に意識しなくても、存在し人がその営みを続けているかぎりそこに「あるもの」である。まさに、コンセプトHakoniWa的に楽しもう！とする絶好の対象である。(「コンセプトHakoniWa」とは、一言でいうと、あるものを／あることを、楽しもう！とする考えのこと)そもそも、社会とは私自身が特になにもしなくても、後世への最大遺物になるものであると思う。ヒトの営みとともにそこにあり続けるものであり、あり続けているものである。問題は、社会は社会でも後世への最大遺物としての社会をいかに捉えて、いかにアプローチするか？そのことをいかにそれを楽しむか？ということである。社会に貢献するといったことを言及すると、政治や政治家といったことが真っ先に挙げられると思う。しかし、後世への最大遺物としての社会の形成に貢献することを考えると、政治というのはアプローチの一つの方法であって、さらにそのその方法の一つの手段が政治家というものであると考えることができると思う。「社会」は常に存在している、そこに「ある｣ものである、後世への最大遺物たる｢社会」というのは、我々や常々、そこに生きる一人ひとりの営みの集合と蓄積によって創られて今日まで連綿と紡いできたものであると思う。つまり、今、この時、その時を生きる人々の営みが社会を描き出し、それが次代へと受け継がれてそれが後世への最大遺物たる社会と成るのではないかと考える。つまり、今を生きる我々の営み、生活そのもの、内村鑑三が後世への最大遺物と説いた生涯、その集合と蓄積が「社会」である。それをいかにして、「後世への最大遺物としての」社会にするには、社会を後世への最大遺物にしよう！とする志向が必要になってくると考える。その志向を伴う営みを「文化」と呼ぶのではなかろうか。とすると、「文化」を志向することは社会にアプローチすることになると考える。その「文化」の一つの顕れとしての、先の例にも出した政治や政治家が存在するのではないかと思う。議会制民主主義も、その社会が持つ文化の一つとして言えると考えるからである。ここまでをまとめると…私はこう思う。後世への最大遺物としての社会とは社会に対するその「後世への最大遺物とする」という志向が継承されていってこそ成り立つものである。その継承に貢献するためには、その志向の基層を担うであろう文化を育むことが重要であるのではないか。つまり、文化に貢献する、アプローチすることが、社会に貢献することにつながると考える。（逆に、社会とは文化の発露したものということも成り立つのではないかと思う。）では、その文化とはなにか？その文化にどのようにアプローチするか？さらに、思索を深めていきたい。]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2019-05-24T13:56:21+00:00</published><updated>2019-06-20T12:45:25+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<img src="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/073.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p class="">前回、｢後世への最大遺物は社会である。その後世への最大遺物としての社会、その形成へ貢献することが私なりの生きがいである。｣</p><p>との思いに辿り着いた。</p><p><br></p><p>その思索をさらに深めていきたい…</p><p>では、社会とは何か？</p><p><br></p><p>「コンセプトHakoniWa」的に、社会とは「あるもの」、私や個々人が特に意識しなくても、存在し人がその営みを続けているかぎりそこに「あるもの」である。</p><p>まさに、コンセプトHakoniWa的に楽しもう！とする絶好の対象である。<br></p><p>(「コンセプトHakoniWa」とは、一言でいうと、あるものを／あることを、楽しもう！とする考えのこと)</p><p><br></p><p>そもそも、社会とは私自身が特になにもしなくても、後世への最大遺物になるものであると思う。</p><p>ヒトの営みとともにそこにあり続けるものであり、あり続けているものである。</p><p>問題は、社会は社会でも後世への最大遺物としての社会をいかに捉えて、いかにアプローチするか？そのことをいかにそれを楽しむか？ということである。</p><p><br></p><p>社会に貢献するといったことを言及すると、政治や政治家といったことが真っ先に挙げられると思う。</p><p>しかし、後世への最大遺物としての社会の形成に貢献することを考えると、政治というのはアプローチの一つの方法であって、さらにそのその方法の一つの手段が政治家というものであると考えることができると思う。</p><p><br></p><p>「社会」は常に存在している、そこに「ある｣ものである、後世への最大遺物たる｢社会」</p><p>というのは、我々や常々、そこに生きる一人ひとりの営みの集合と蓄積によって創られて</p><p>今日まで連綿と紡いできたものであると思う。</p><p>つまり、今、この時、その時を生きる人々の営みが社会を描き出し、それが次代へと受け継がれてそれが後世への最大遺物たる社会と成るのではないかと考える。</p><p>つまり、今を生きる我々の営み、生活そのもの、内村鑑三が後世への最大遺物と説いた生涯、その集合と蓄積が「社会」である。</p><p>それをいかにして、「後世への最大遺物としての」社会にするには、社会を後世への最大遺物にしよう！とする志向が必要になってくると考える。</p><p>その志向を伴う営みを「文化」と呼ぶのではなかろうか。</p><p>とすると、「文化」を志向することは社会にアプローチすることになると考える。</p><p><br></p><p>その「文化」の一つの顕れとしての、先の例にも出した政治や政治家が</p><p>存在するのではないかと思う。</p><p>議会制民主主義も、その社会が持つ文化の一つとして言えると考えるからである。</p><p><br></p><p>ここまでをまとめると…</p><p>私はこう思う。</p><p>後世への最大遺物としての社会とは社会に対するその「後世への最大遺物とする」という志向が継承されていってこそ成り立つものである。</p><p>その継承に貢献するためには、その志向の基層を担うであろう文化を育むことが重要であるのではないか。</p><p>つまり、文化に貢献する、アプローチすることが、社会に貢献することにつながると考える。</p><p>（逆に、社会とは文化の発露したものということも成り立つのではないかと思う。）<br></p><p><br></p><p>では、その文化とはなにか？</p><p>その文化にどのようにアプローチするか？</p><p>さらに、思索を深めていきたい。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HaoniWa戯言Vol.15愉しみ／生きがいの考察−後世への最大遺物−]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/6193457/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/113.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/6193457</id><summary><![CDATA[前回、愉しみを考察する上で、ふと湧いてきた、それでいてすっと腹落ちした視座が、「生きがい」である。とした考察を書いた。今回はその「生きがい」について思索を続けていきたい。「生きがい」とは何か？「人生の目的」≒「愉しみ（自分なりの愉しみ）×志」≒「生きがい」まさに三位一体として、捉えることができる。]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2019-05-07T14:08:16+00:00</published><updated>2019-07-24T14:33:30+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<img src="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/113.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p class="">前回、愉しみを考察する上で、ふと湧いてきた、それでいてすっと腹落ちした</p><p>視座が、「生きがい」である。とした考察を書いた。</p><p>今回はその「生きがい」について思索を続けていきたい。</p><p>「生きがい」とは何か？</p><p>「人生の目的」≒「愉しみ（自分なりの愉しみ）×志」≒「生きがい」</p><p>まさに三位一体として、捉えることができる。</p>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/a8c3b60ec9efc8ea4a552baffd84d31a_13b333dceb0592ada48604e28d197e31.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p>↑のような本を読んでみた。</p><p>内容の如何の論評についてはネットレビュー等に譲るとして</p><p>この本を読んで私自身が感じ、考えたこと、思ったこととしては</p><p>・論としての生きがいは必要か？</p><p>・普遍的な生きがいは存在しないのでは？</p><p>・普遍的な生きがいを論じるのもあまり意味を感じない</p><p>・生きがいなるものは、ひとそれぞれにあるものでその中身は千差万別</p><p>・生きがいの内容も人それぞれなら、生きがいを意識するもしないも</p><p>　ひとそれぞれである。</p><p>といったところで、普遍的な生きがい論を語ろうとするのではなく</p><p>どこまでも個人的なものとしての生きがいを考察していく。</p><p>そう、私自身の「生きがい」を考察する。</p><p>・生きがいとは何か？</p><p class="">　それは「意思」である、のではないかと考える。｢方向性｣といった性格もあるかもしれない。</p><p>　「人生の目的」とは問であり、「楽しみ」とは趣向、「生きがい」とは</p><p class="">　その人自らがこうだ、と考える意思のことだと思う。　</p><p>これらを前置きとして、</p><p>私自身の生きがいとは何か？</p><p>この考察を進めていくうえで、私の琴線に触れたのは↓</p>
		</div>
	
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://www.amazon.co.jp/%E5%BE%8C%E4%B8%96%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%9C%80%E5%A4%A7%E9%81%BA%E7%89%A9-%E5%86%85%E6%9D%91-%E9%91%91%E4%B8%89-ebook/dp/B009IXGOGY/ref=sr_1_6?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E5%86%85%E6%9D%91%E9%91%91%E4%B8%89&qid=1557237991&s=gateway&sr=8-6">
			<img src="https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51gCFOtHBYL._SR600%2c315_PIWhiteStrip%2cBottomLeft%2c0%2c35_PIStarRatingFOURANDHALF%2cBottomLeft%2c360%2c-6_SR600%2c315_ZA(22%20Reviews)%2c445%2c286%2c400%2c400%2carial%2c12%2c4%2c0%2c0%2c5_SCLZZZZZZZ_.jpg" width="100%">
			<small><b>後世への最大遺物</b></small>
			<br>
			<small>Amazonで内村 鑑三の{ProductTitle}。アマゾンならポイント還元本が多数。一度購入いただいた電子書籍は、KindleおよびFire端末、スマートフォンやタブレットなど、様々な端末でもお楽しみいただけます。</small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<div>題名だけは昔から知っていた。</div><div>なぜかしら、手に取り読んでみた。</div><div><br></div><p>何か、この世に遺して逝きたい。</p><p>しかし、特段の才能、金を稼ぐ才も、事業を興したり、営む才も、著述や教育の才もあるわけではない。</p><p>それならば、そういった者にとっての最大遺物とはなんであるか。それは勇ましい高尚なる生涯であると思います。</p><p><br></p><p>まさに、我が意を得たり！という気分になった。</p><p>恥ずかしながら、自分自身、何がやりたいのかよくわからず、悶々としていたところに</p><p>フワッと灯った一筋の光明のようだった。</p><p>願わば求める解は自ずと引き寄せるのかなと…</p><p>その得た我が意の内容とは…</p><p>「後世へなにか遺して逝きたい」これが私の生きがいではなかろうか</p><p>　それは、幼いころ考えていたような自分の名前を残したいというような功名心ではなく</p><p>　たぶんそれは“献身”と呼ぶような心持ちからだと思う。</p><p>生きがい、まさに甲斐性、張り合いというのか、それがやっぱり人生の目的とも</p><p>とれるように、なにか私にとって甲斐性のあるもの、それが、後世へ遺しうることがしたい、</p><p>ということだと感じた。</p><p>では、それは何か？どうすればいいのか？</p><p>たかだか３０数年だが、振り返ってみると、まぁ良いことも悪いこともあったけど</p><p>なんだかんだおもしろおかしく過ごすことができた。</p><p>それはひとえに、両親はじめ家族、友達、先輩後輩等のこれまでに関わってきた</p><p>方々皆のおかげと言える。</p><p>それに（勝手に）報いたい…しかし、どうやって？</p><p>そういえば、ある時、大変世話になっている地元の先輩と飲んだときにいつも</p><p>お世話になっているから、今日は僕が…という話をした時に</p><p>「俺にはエエから、下（年下）のモンにやったってくれ、お前がしてもらって良かった</p><p>思うことやったら、下のモンにしたったらエエ」</p><p>と言われたことが、ふと思い出された。</p><p><br></p><p>そこで考えた、金も金を稼ぐ能力も事業を興す才覚も器量も著作を著すような才能も</p><p>ない自分にとって、自分にとって良かったと感じるものを後世へ遺すものはなにか？</p><p>内村曰く、勇ましい交渉なる生涯という…その生涯を平々凡々たる私はいかに遺しうるか？</p><p>答えは自ずと見えた気がした。</p><p><br></p><p>そう、私は考える、私の考える後世への最大遺物とは「社会」である。</p><p>まさに、膨大な生涯の集積であるのが「社会」ではないか。</p><p>これまでの人生において感謝すべきは関係を持った方々、献身すべきはこの「社会」ではなかろうか。</p><p>「後世への最大遺物とはなにか？」なんて、厳しい問いに相応しい解ではないかと。</p><p>自分なりには、ストンと綺麗に肚に落ちてきたのだが…</p><p>しかし、一段落はついたが、これからはその後世への最大遺物たる「社会」へ</p><p>いかにしてアプローチするのか…</p><p>その考察を続けていく…</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.14愉しみの考察3.0〜生きがいという視座〜]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/6172176/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/061.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/6172176</id><summary><![CDATA[これまで、「愉しみ」について考察を進めてきた。それは、私自身の素朴で根源的な問い「生きるとはなにか？」「人はなんのためにいきるのか？」という、素朴で根源的な問いに対する解を模索してのことである。これまでの考察で得られた解は↓・そもそも、これらの問いに、一般的な／普遍的な解を求めるようなものでなく　個々人が、その内から導き出すものである。・つまり、「人はなんのために生きるのか？」という問いかけるのではなく　「私はなんのために生きるのか？」と問いかけることが重要である。・私の考える人生の目的（なんのために生きるか？）とは、愉しみ（自分なりの　楽しみ）を追求することである。さらに、愉しみ（自分なりの楽しみ）を考えていく上でなにか足りない視点があるのではないか？と自問していくなかで、ふっとでてきた愉しみキーワードがあるそれが「生きがい」である。そう、私は考える「愉しみ」とは、自分なりの楽しみであるとともに、生きがいとして自分に活力を与えてくれるものである、ということである。次回以降、このもはや死語のような「生きがい」というものについて考えていきたい。]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2019-05-03T06:30:42+00:00</published><updated>2019-05-03T06:30:42+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<img src="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/061.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p>これまで、「愉しみ」について考察を進めてきた。</p><p>それは、私自身の素朴で根源的な問い「生きるとはなにか？」</p><p>「人はなんのためにいきるのか？」という、素朴で根源的な問いに対する解を模索してのことである。</p><p>これまでの考察で得られた解は↓</p><p>・そもそも、これらの問いに、一般的な／普遍的な解を求めるようなものでなく</p><p>　個々人が、その内から導き出すものである。</p><p>・つまり、「人はなんのために生きるのか？」という問いかけるのではなく</p><p>　「私はなんのために生きるのか？」と問いかけることが重要である。</p><p>・私の考える人生の目的（なんのために生きるか？）とは、愉しみ（自分なりの</p><p class="">　楽しみ）を追求することである。</p><p><br></p><p>さらに、愉しみ（自分なりの楽しみ）を考えていく上でなにか足りない視点が</p><p>あるのではないか？と自問していくなかで、ふっとでてきた愉しみキーワードがある</p><p>それが「生きがい」である。</p><p>そう、私は考える「愉しみ」とは、自分なりの楽しみであるとともに、生きがいと</p><p>して自分に活力を与えてくれるものである、ということである。</p><p>次回以降、このもはや死語のような「生きがい」というものについて</p><p>考えていきたい。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HaoniWa戯言Vol.13−私はこう思う−愉しみの考察2.0]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/5945081/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/045.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/5945081</id><summary><![CDATA[・ブログ再開したが、なかなか思うように筆というのか思索が進んでいかない。・なぜかと考えた→やはり前回の記事でも腑に落ちていないのではないかと。・それはなぜか？　→自分自身を見つめ直す為に書こうとしているが、書いているうちにいつの間にか　　抽象的で、普遍的なことを書こうとしているのではないか。　　たしかに、物事や思索を抽象的や高次における考察にまで高めるのは良いことだとは　　思うが、今はその時期ではない、というかまずは自分自身のことをしっかりと深めない　　ことには、それなしでの抽象化はまさに机上の空論となるのではないか。・そのことを踏まえて、今後の改善として、書き出しは　「私はこう思う、私はこう考える」と縛りを入れてみようと思う。・早速、私はこう思、私はこう考える　「生きる」とは何か？→「楽しみの追究」である、と。・私はこう考える　「生きる目的」とは何か？→「愉しみ」×「志（ビジョン×意思）」である。・私はこう考える　「愉しみ」とはなにか？→私なりの楽しみのことである　自分なりの楽しみ、自分なりの楽しみを自分なりに楽しむことである。　つまり、楽しみ＝（楽しみの対象）×（楽しみ方）と示せる。　対象（What）と方法（How）にそれぞれに、自分なりがあると考える。　つまり、愉しみ（自分なりの楽しみ）＝（自分なりのの楽しみの対象）×（自分なりの楽しみ方）・そこで、愉しみ＝（自分なりのの楽しみの対象）×（自分なりの楽しみ方）　を具体的に、なにか？ということを考察していこうと思い、基本的に自分自身は　どんなか？と思い自分自身を自分なりに鑑みて、出てきたのが【HakoniWaマンダラ】である↓]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2019-03-25T12:26:03+00:00</published><updated>2019-07-24T14:18:24+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<img src="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/045.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p class="">・ブログ再開したが、なかなか思うように筆というのか思索が進んでいかない。</p><p class="">・なぜかと考えた→やはり前回の記事でも腑に落ちていないのではないかと。</p><p class="">・それはなぜか？</p><p class="">　→自分自身を見つめ直す為に書こうとしているが、書いているうちにいつの間にか</p><p class="">　　抽象的で、普遍的なことを書こうとしているのではないか。</p><p class="">　　たしかに、物事や思索を抽象的や高次における考察にまで高めるのは良いことだとは</p><p>　　思うが、今はその時期ではない、というかまずは自分自身のことをしっかりと深めない</p><p>　　ことには、それなしでの抽象化はまさに机上の空論となるのではないか。</p><p class="">・そのことを踏まえて、今後の改善として、書き出しは</p><p class="">　「私はこう思う、私はこう考える」と縛りを入れてみようと思う。</p><p class="">・早速、私はこう思、私はこう考える</p><p class="">　「生きる」とは何か？→「楽しみの追究」である、と。</p><p class="">・私はこう考える</p><p class="">　「生きる目的」とは何か？→「愉しみ」×「志（ビジョン×意思）」である。</p><p>・私はこう考える</p><p>　「愉しみ」とはなにか？→私なりの楽しみのことである</p><p>　自分なりの楽しみ、自分なりの楽しみを自分なりに楽しむことである。</p><p>　つまり、楽しみ＝（楽しみの対象）×（楽しみ方）と示せる。</p><p>　対象（What）と方法（How）にそれぞれに、自分なりがあると考える。</p><p>　つまり、愉しみ（自分なりの楽しみ）＝（自分なりのの楽しみの対象）×（自分なりの楽しみ方）</p><p class="">・そこで、愉しみ＝（自分なりのの楽しみの対象）×（自分なりの楽しみ方）</p><p class="">　を具体的に、なにか？ということを考察していこうと思い、基本的に自分自身は</p><p class="">　どんなか？と思い自分自身を自分なりに鑑みて、出てきたのが</p><p class="">【HakoniWaマンダラ】である↓</p>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/d495e63dc90cd67e1575e8d4667455d7_5b89c5c3b4dab02f68f6191adb689cbf.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p>・私はこう考えた</p><p>　青丸に楽しみの対象、緑四角にその方法を導くキーワード</p><p>・私はこう考えた</p><p>　楽しみの対象を考えるときに、青丸には「あるもの」を記入する</p><p>　緑にはどういうアプローチの仕方があるかを考える</p><p>　書くときには、普遍的・高次的視点で考えてしまったかと思ったが</p><p>　よくよく見ると自分らしいマンダラになっているのではと思う…</p><p>・つまり、私はこう考える／私はこう思う</p><p>　愉しみ＝（自分なりのの楽しみの対象）×（自分なりの楽しみ方）</p><p>　　　　＝（あるもの、あると認識しているものマンダラの青丸、つまりそれらが楽しむべく対象にほかならない）×（緑四角、それらはまさに自分の楽しむべく方法の概念を表す）</p><p>・これをさらに、具体的なところまで落とし込んでいく</p><p>　続く…</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.12原点回帰／根源的問いへの考察2.0／HakoniWa因数分解]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/5723501/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/057.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/5723501</id><summary><![CDATA[こんなブログ、ほんの数回書いてエライ間があいてしまったが、読んでくれた奇特な方よりわかりにくいとコメントをもらった。自分でも読み返してみた。確かに分かりにくい…そもそも、混沌としている自身の頭の中の思考をブログに書き出すことで整理しようとしたのが間違いであったと思う。書くことで整理するのではなく、書くからその前に整理して書く、じゃないといけなっかなと反省し、ブログ再開。自分なりに少し思考・思索を整理しつつ書いていく。まずは、このブログのテーマとして掲げた“愉しみ”について、思索を整理し２．０としてブラッシュアップ版としてまとめてみたい。これまでの記述では、「人生の目的」とは「愉しみ」である「愉しみ」とは「成長を伴う楽しみ」であるというふうなことを述べた。読み返すと、ちょっと表現として、自身の考えを表現するものとして、ニュアンスが違うのかなと感じてもう一度あれやこれやと考えるうちに少しブラッシュアップしたものが、できた気がするので以下にまとめる。原点回帰で、そもそもの疑問である、「人生の目的とはなにか？何のために人は生きるのか？」でそれに対する仮の解として「愉しみ」としたが、それでは仮として解としては不十分で、この問いにはじつは２つの問いから構成されていてそれは、①そもそも、「生きる」とはなにか？と②その生きていく「人生の目的」とはなにか？ではないかと。まず、①について「生きる」とは何か？「生きる」とは「愉しみの追求」ではないかと考える。ただ単に呼吸していることを「生きている」と定義する人もいるかもしれない。しかし、「生きる」とはやはり、能動的に活動すること。つまり、活動のモチベーションとなる「愉しみ」、それを追求することだと定義したい。（「愉しみ」についての考察は次回以降）②「人生の目的」とは何か？問いの文章にもあった通り、生きて「いく」その先のことではないか当然、それは一人ひとりにあり、各々違うものを持っているそれは、方向性を表すもの、とも言い換えれるし、ベクトルとも表現できる。そして、その「いく先」を規定するには・・・「生きる」ことに、各々の意思を掛けることすなわち、「愉しみ」×「志」　［志とは「志」とは…　　田坂広志氏曰く「これから何が起こるのか」のビジョンを描き、「この未来を目指そう」との意思が明確であるもの「ビジョン」とは、どこまでも、「これから何が起こるか」についての　客観的・理性的な思考である、との事］つまり、「人生の目的」とは「愉しみ×ビジョン×意思」であると表現できる。自身の「愉しみ」を追求する中で、ビジョンと意思を養い、それらを掛け合わせて見えてくるものが「目的」になるのではなかろうかという考察に至る。で、その結果という意味での人生の意義は、それこそ死んでから問われるものだと考える。整理をすると…・人生の目的とはなにか？何のために人は生きるのか？＝生きるとは何か？×人生の目的とは何か？・生きる＝愉しみを追求すること・人生の目的＝愉しみ×ビジョン×意思・人生の意義＝死んでから問われるもの続く…参考図書↓]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2019-02-14T13:49:05+00:00</published><updated>2019-02-14T13:51:48+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<img src="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/057.jpg?width=960" width="100%">
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			<p class="">こんなブログ、ほんの数回書いてエライ間があいてしまったが、読んでくれた奇特な方よりわかりにくいとコメントをもらった。</p><p>自分でも読み返してみた。</p><p class="">確かに分かりにくい…</p><p class="">そもそも、混沌としている自身の頭の中の思考をブログに書き出すことで整理しようとしたのが間違いであったと思う。</p><p class="">書くことで整理するのではなく、書くからその前に整理して書く、じゃないといけなっかなと反省し、ブログ再開。</p><p class="">自分なりに少し思考・思索を整理しつつ書いていく。</p><p>まずは、このブログのテーマとして掲げた“愉しみ”について、思索を整理し２．０としてブラッシュアップ版としてまとめてみたい。</p><p><br></p><p>これまでの記述では、「人生の目的」とは「愉しみ」である</p><p>「愉しみ」とは「成長を伴う楽しみ」であるというふうなことを述べた。</p><p>読み返すと、ちょっと表現として、自身の考えを表現するものとして、ニュアンスが違うのかなと感じてもう一度あれやこれやと考えるうちに少しブラッシュアップしたものが、できた気がするので以下にまとめる。</p><p><br></p><p>原点回帰で、そもそもの疑問である、「人生の目的とはなにか？何のために人は生きるのか？」でそれに対する仮の解として「愉しみ」としたが、それでは仮として解としては不十分で、この問いにはじつは２つの問いから構成されていて</p><p>それは、</p><p>①そもそも、「生きる」とはなにか？</p><p>と</p><p>②その生きていく「人生の目的」とはなにか？</p><p>ではないかと。</p><p>まず、①について</p><p>「生きる」とは何か？</p><p>「生きる」とは「愉しみの追求」ではないかと考える。</p><p>ただ単に呼吸していることを「生きている」と定義する人もいるかもしれない。</p><p>しかし、「生きる」とはやはり、能動的に活動すること。</p><p>つまり、活動のモチベーションとなる「愉しみ」、それを追求することだと定義したい。</p><p>（「愉しみ」についての考察は次回以降）</p><p>②「人生の目的」とは何か？</p><p>問いの文章にもあった通り、生きて「いく」その先のことではないか</p><p>当然、それは一人ひとりにあり、各々違うものを持っている</p><p>それは、方向性を表すもの、とも言い換えれるし、ベクトルとも表現できる。</p><p>そして、その「いく先」を規定するには・・・</p><p>「生きる」ことに、各々の意思を掛けること</p><p>すなわち、「愉しみ」×「志」</p><p>　［志とは「志」とは…</p><p>　　田坂広志氏曰く「これから何が起こるのか」のビジョンを描き、「この未来を目指そう」との意思が明確であるもの</p><p>「ビジョン」とは、どこまでも、「これから何が起こるか」についての</p><p>　客観的・理性的な思考である、との事］</p><p>つまり、「人生の目的」とは「愉しみ×ビジョン×意思」であると表現できる。</p><p>自身の「愉しみ」を追求する中で、ビジョンと意思を養い、それらを掛け合わせて見えてくるものが「目的」になるのではなかろうかという考察に至る。</p><p>で、その結果という意味での人生の意義は、それこそ死んでから問われるものだと考える。</p><p><br></p><p>整理をすると…</p><p>・人生の目的とはなにか？何のために人は生きるのか？＝生きるとは何か？×人生の目的とは何か？</p><p>・生きる＝愉しみを追求すること</p><p>・人生の目的＝愉しみ×ビジョン×意思</p><p>・人生の意義＝死んでから問われるもの</p><p><br></p><p>続く…</p><p>参考図書↓</p><p><br></p>
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	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://www.amazon.co.jp/%E7%9F%A5%E6%80%A7%E3%82%92%E7%A3%A8%E3%81%8F%E2%80%95-%E3%80%8C%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%94%B0%E5%9D%82-%E5%BA%83%E5%BF%97/dp/4334038018/ref=sr_1_18?ie=UTF8&qid=1550151575&sr=8-18&keywords=%E7%94%B0%E5%9D%82%E5%BA%83%E5%BF%97">
			<img src="https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/3157eRYfaCL._SR600%2c315_PIWhiteStrip%2cBottomLeft%2c0%2c35_PIAmznPrime%2cBottomLeft%2c0%2c-5_PIStarRatingFOUR%2cBottomLeft%2c360%2c-6_SR600%2c315_ZA(67%20Reviews)%2c445%2c286%2c400%2c400%2carial%2c12%2c4%2c0%2c0%2c5_SCLZZZZZZZ_.jpg" width="100%">
			<small><b>知性を磨く― 「スーパージェネラリスト」の時代 (光文社新書)</b></small>
			<br>
			<small></small>
		</a>
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	</div>]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.11HakoniWaマンダラを読み解く〜少年よ、大志を抱け！？〜]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3423512/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/061.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3423512</id><summary><![CDATA[HakoniWaマンダラはコンセプトHakoniWaに基づく世界観を表している（つもり）。そして、その世界観上でのあるもの「専門分野」、「社会」、「仕事」と見てきた。今回は第四の要素「志」。志とは何か？・未来を志向する意思である。はたして、未来はあるものなのか？未来そのものは、実態としては今ここにはない。しかし、実態としては、今ここに確かにない、が、目指すもの、志向するものとしての未来はたしかに「あるもの」ではないか。未来を目指す意思、動機がなければ歩みは始まらない。また、その歩みの方向、ベクトルと言い換えてもいいと考える。この「志」いかんによって、そのベクトル、方向性とも言える、が変わる。「専門分野」（パーソナル）の分野においては何をインプットしていくかが変わるかもしれない。「社会」分野については、何に焦点をあてるか、どんな視座からみるかといったことに影響をうけるかもしれない。「仕事」については、まさにその実際の行動・アクションを規定する場合もあろう。田坂広志氏の著書「知性を磨く― 「スーパージェネラリスト」の時代」]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2017-12-22T05:13:32+00:00</published><updated>2019-08-02T21:32:47+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<img src="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/061.jpg?width=960" width="100%">
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			<p class="">HakoniWaマンダラは<a href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3336214" class="u-lnk-clr">コンセプトHakoniWa</a>に基づく世界観を表している（つもり）。</p><p class="">そして、その世界観上でのあるもの「専門分野」、「社会」、「仕事」と見てきた。</p><p class="">今回は第四の要素「志」。</p><p class="">志とは何か？</p><p class="">・未来を志向する意思である。</p><p class="">はたして、未来はあるものなのか？未来そのものは、実態としては今ここにはない。</p><p class="">しかし、実態としては、今ここに確かにない、が、目指すもの、志向するもの</p><p class="">としての未来はたしかに「あるもの」ではないか。</p><p class="">未来を目指す意思、動機がなければ歩みは始まらない。</p><p class="">また、その歩みの方向、ベクトルと言い換えてもいいと考える。</p><p class="">この「志」いかんによって、そのベクトル、方向性とも言える、が変わる。</p><p class="">「専門分野」（パーソナル）の分野においては何をインプットしていくかが</p><p class="">変わるかもしれない。</p><p class="">「社会」分野については、何に焦点をあてるか、どんな視座からみるか</p><p class="">といったことに影響をうけるかもしれない。</p><p class="">「仕事」については、まさにその実際の行動・アクションを規定する場合もあろう。</p><p class=""><br></p><p class="">田坂広志氏の著書「知性を磨く― 「スーパージェネラリスト」の時代」</p>
		</div>
	
	<div>
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		<a href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4334038018/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4334038018&linkCode=as2&tag=n094f-22">
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			<small><b>知性を磨く― 「スーパージェネラリスト」の時代 (光文社新書)</b></small>
			<br>
			<small></small>
		</a>
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	</div>
		<div>
			<p class=""><br></p><p class="">によると、「志」とは・・・</p><p class="">「これから何が起こるのか」のビジョンを描き、「この未来を目指そう」との</p><p class="">意思が明確であるもの、と定義されている。</p><p class="">とすると、「社会」分野について「インプット」を重ね、それに対しての</p><p class="">「行動」をいかにするかというのは、その「意思」により決定される。</p><p class="">つまり、この「志」ここでは、特にその意思に重きをおいて、非常に重要な</p><p class="">切り口であると考える。</p><p class="">ならば、この「志」とくに「意思」とはいかに育まれるか？</p><p class="">と考えた時に、というかこの部分においては、本当にこの文章を書きながら</p><p class="">考え、はたと思い当たった。</p><p class=""><br></p><p class="">「志」（意思）は、いかに育まれるか？</p><p class="">それは、その人の「感性」ではないか？</p><p class="">「感性」とは何か？</p><p class="">ウィキペディアによると⬇</p><p class="">感性とは、美や善などの評価判断に関する印象の内包的な意味を知覚する能力と言える。</p>
		</div>
	
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E6%80%A7">
			<img src="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E6%80%A7/static/images/wikimedia-button.png" width="100%">
			<small><b>感性 - Wikipedia</b></small>
			<br>
			<small>感性</small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<p class="">つまり、「価値観」、様々なの事物に対しての真・善・美を感じる心にことと</p><p class="">言えるのではないか。</p><p class="">ではその「感性」はどのように育まれれるのか？</p><p class="">それは、経験、まさにそれまでに生きてきた実体験から得られるもの（他人の</p><p class="">経験として「コミュニケーション」によって得られるものも含まれる。教育もそう）</p><p class="">または、個人的な経験のみらなず、人類の経験ということであれば、「歴史」という</p><p class="">ものも、感性を育むものになろうと思う。</p><p class="">宗教も、こう言うと大いに批判もあろうが、人類の思想経験の蓄積（歴史）とも</p><p class="">とれるので、「歴史」の分野に含まれると思う。</p><p class=""><br></p><p class="">こう書き進める内に、この「感性を育む」ということがこの</p><p class="">「志」分野をじっくりガストロノミするのに、とても重要なキーワード</p><p class="">だと感じれたので、愉しみの柱に新たに一つ付け加えることとする。</p><p class="">「愉しみの四本柱」（ちょっとヤッサっぽいw）</p><p class="">・ガストロノミ</p><p class="">・リベラルアーツ</p><p class="">・コミュニケーション</p><p class="">・感性を育む</p><p class="">これらをキーワードに「愉しみ」を追究していく。</p>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/d495e63dc90cd67e1575e8d4667455d7_5b89c5c3b4dab02f68f6191adb689cbf.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		
]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.10HakoniWaマンダラを読み解く〜仕事とは？〜]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3418658/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/114.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3418658</id><summary><![CDATA[これまで、HakoniWaマンダラのあるもの要素（切り口）４つのうち・専門分野（パーソナル）⇒内世界・社会⇒外世界というふうに読み解いてきた。今回は、３つめに「仕事」という切り口を見ていく。この「仕事」とは、端的に生計を立てるための稼ぎをすることだけにとどまらず、広範な意味をもつ言葉であると考える。例えば、これまでに見てきた「内世界と外世界をつなぐもの」と定義付けすることもできる。その他にも、マンダラの愉しむ４要素をベースに仕事を見ていくと⬇・専門分野（パーソナル）の分野をインプットと言い換えるなら　仕事は「アウトプット」と言える。・社会のなかでの役割である。・個人と社会とをつなぐもの、インターフェイス的役割を担うもの。　（上記の例と同じ）・自己表現／実現の手段である。・端的に行動・アクションのことである。まとめると⬇定義・思想として、「仕事」とは社会における個人の役割である。つまり、個人と社会とをつなぐインターフェイス機能を持っている。そのような、意味を果たしうるアウトプット、行動・アクションのことで、自己表現・自己実現においてそのような行動・アクションを伴う（場合が多く見られるとしておく）。ここで、留意すべく点は「社会の役割たるアウトプットである」という点である。つまり、自己完結、自己満足に終始する活動は「仕事」とは呼び得ないということである。それは言うならば、「趣味」ということになるだろう。逆に言うと、一見すると趣味的な活動と思われるものでも、一旦なんらかの格好で社会とすながれば、役割と認識され実態化すればそれはれっきとした立派な「仕事」である、ということになる。つまり、人と人があってこその「仕事」であり、人と人があればこその「仕事」であるということ。そうすると、重要なことは「コミュニケーション」だと考える。この「コミュニケーション」も、その形式や形態も様々なものが存在し得ると思う。「仕事」という場合においても、例えば、売りてと買い手でのやり取りであったり、それは、言葉であったり態度であったり、行動でもコミュニケーション（意思のやりとり）は可能だろうと思う。こういった、セールスの場面のみならず、マーケティングも一種のコミュニケーションと呼べるだろう。そういった観点から、この「コミュニケーション」を愉しみの３本柱の１つとして据えて、考察と実践を企てていきたい。]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2017-12-21T04:32:56+00:00</published><updated>2017-12-21T05:37:21+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<img src="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/114.jpg?width=960" width="100%">
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			<p class="">これまで、HakoniWaマンダラのあるもの要素（切り口）４つのうち</p><p class="">・専門分野（パーソナル）⇒内世界</p><p class="">・社会⇒外世界</p><p class="">というふうに読み解いてきた。</p><p class="">今回は、３つめに「仕事」という切り口を見ていく。</p><p class="">この「仕事」とは、端的に生計を立てるための稼ぎをすること</p><p class="">だけにとどまらず、広範な意味をもつ言葉であると考える。</p><p class="">例えば、これまでに見てきた「内世界と外世界をつなぐもの」と</p><p class="">定義付けすることもできる。</p><p class="">その他にも、マンダラの愉しむ４要素をベースに仕事を見ていくと</p><p class="">⬇</p><p class="">・専門分野（パーソナル）の分野をインプットと言い換えるなら</p><p class="">　仕事は「アウトプット」と言える。</p><p class="">・社会のなかでの役割である。</p><p class="">・個人と社会とをつなぐもの、インターフェイス的役割を担うもの。</p><p class="">　（上記の例と同じ）</p><p class="">・自己表現／実現の手段である。</p><p class="">・端的に行動・アクションのことである。</p><p class="">まとめると⬇</p><p class="">定義・思想として、「仕事」とは社会における個人の役割である。</p><p class="">つまり、個人と社会とをつなぐインターフェイス機能を持っている。</p><p class="">そのような、意味を果たしうるアウトプット、行動・アクションの</p><p class="">ことで、自己表現・自己実現においてそのような行動・アクションを</p><p class="">伴う（場合が多く見られるとしておく）。</p><p class=""><br></p><p class="">ここで、留意すべく点は「社会の役割たるアウトプットである」という点である。</p><p class="">つまり、自己完結、自己満足に終始する活動は「仕事」とは呼び得ないということである。</p><p class="">それは言うならば、「趣味」ということになるだろう。</p><p class=""><br></p><p class="">逆に言うと、一見すると趣味的な活動と思われるものでも、一旦</p><p class="">なんらかの格好で社会とすながれば、役割と認識され実態化すれば</p><p class="">それはれっきとした立派な「仕事」である、ということになる。</p><p class=""><br></p><p class="">つまり、人と人があってこその「仕事」であり、人と人があればこその</p><p class="">「仕事」であるということ。</p><p class="">そうすると、重要なことは「コミュニケーション」だと考える。</p><p class="">この「コミュニケーション」も、その形式や形態も様々なものが</p><p class="">存在し得ると思う。</p><p class="">「仕事」という場合においても、例えば、売りてと買い手でのやり取り</p><p class="">であったり、それは、言葉であったり態度であったり、行動でも</p><p class="">コミュニケーション（意思のやりとり）は可能だろうと思う。</p><p class="">こういった、セールスの場面のみならず、マーケティングも一種の</p><p class="">コミュニケーションと呼べるだろう。</p><p class="">そういった観点から、この「コミュニケーション」を愉しみの３本柱の</p><p class="">１つとして据えて、考察と実践を企てていきたい。</p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.９HakoniWaマンダラを読み解く〜社会をガストロノミする〜]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3394364/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/074.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3394364</id><summary><![CDATA[前回までは、HakoniWaマンダラにおける「世界」の切り口の４要素の内一つめとして、専門分野を考察し、僕自身の「愉しむ」３本柱の一つとして最も重要な、概念としての「ガストロノミ」を見てきた。これは、極めてパーソナル、個人的な事柄、言わば内世界と呼べるものと言える。内世界があるとすると、内に対して外があるのが世の常というもの。それを、HakoniWaマンダラで「社会」という切り口で表現する。もう少し、詳しく定義すると・外世界・目に見えるもの、実態のあるもの・つまり、過去と現在我々の眼前にあるものは、何か？我々はどこに生き、暮らしているのか？それが「社会」である。その社会は現在、今ここに具現化されている社会というのは人類が、我々の祖先が連綿と紡いできた歴史と、そうして培ってきた歴史に立脚して存在している。この名のある、ない億千の意図があったにせよなかったにせよ先人達の残してくれた、後世への最大遺物を愉しまない訳にはいかない。そして、ここでこの「社会」をどのように愉しむか？この社会に生きる一生活者として、いかに愉しむか？そう「ガストロノミ」的視座で考え、ふと浮かび上がってきたのが．．．愉しみの３本柱の２本目「リベラルアーツ」である。リベラルアーツとはなにか？これについても、いろいろな定義やそれについての書籍やサイト等々いろいろあるが、ウィキペディアを参考にして僕なりに考えた。]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2017-12-16T00:58:56+00:00</published><updated>2019-08-02T21:33:18+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<img src="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/074.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p class="">前回までは、HakoniWaマンダラにおける「世界」の切り口の４要素の内</p><p class="">一つめとして、専門分野を考察し、僕自身の「愉しむ」３本柱の一つとして</p><p>最も重要な、概念としての「ガストロノミ」を見てきた。</p><p>これは、極めてパーソナル、個人的な事柄、言わば内世界と呼べるものと言える。</p><p>内世界があるとすると、内に対して外があるのが世の常というもの。</p><p>それを、HakoniWaマンダラで「社会」という切り口で表現する。</p><p>もう少し、詳しく定義すると</p><p>・外世界</p><p>・目に見えるもの、実態のあるもの</p><p>・つまり、過去と現在</p><p class="">我々の眼前にあるものは、何か？</p><p class="">我々はどこに生き、暮らしているのか？</p><p>それが「社会」である。</p><p>その社会は現在、今ここに具現化されている社会というのは</p><p>人類が、我々の祖先が連綿と紡いできた歴史と、そうして培って</p><p>きた歴史に立脚して存在している。</p><p>この名のある、ない億千の意図があったにせよなかったにせよ</p><p>先人達の残してくれた、後世への最大遺物を愉しまない訳にはいかない。</p><p>そして、ここでこの「社会」をどのように愉しむか？</p><p class="">この社会に生きる一生活者として、いかに愉しむか？</p><p class="">そう「ガストロノミ」的視座で考え、ふと浮かび上がってきたのが．．．</p><p>愉しみの３本柱の２本目「リベラルアーツ」である。</p><p>リベラルアーツとはなにか？</p><p>これについても、いろいろな定義やそれについての書籍やサイト等々</p><p class="">いろいろあるが、ウィキペディアを参考にして僕なりに考えた。</p>
		</div>
	
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%84">
			<img src="https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/71/Septem-artes-liberales_Herrad-von-Landsberg_Hortus-deliciarum_1180.jpg/1200px-Septem-artes-liberales_Herrad-von-Landsberg_Hortus-deliciarum_1180.jpg" width="100%">
			<small><b>リベラル・アーツ - Wikipedia</b></small>
			<br>
			<small>リベラル・アーツ</small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<p>ここに、「自由の諸技術」とある。</p><p>ここでいう自由とは、古代ギリシャにおける「自由人」と言える</p><p>「自由人」とは非奴隷であり、ウィキペディア内で、「何ものにも強制されず</p><p>自らの運命を自分で決めることができ、思いのままに生きる人もしくは人々。</p><p>（奴隷と対置）」と定義されている。</p><p>また、古代ギリシャでの自由市民のための諸技術と解釈できる。</p><p>自由市民とは↓</p><p class="">古代ギリシアのポリスや、共和制古代ローマにおける男性の自由市民は、政治に参画するとともに、兵士として共同体の防衛義務を果たした。彼らは都市国家の住民として「市民」と呼ばれた。とのこと。</p>
		</div>
	
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E6%B0%91">
			<img src="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E6%B0%91/wikipedia/commons/thumb/6/64/Question_book-4.svg/50px-Question_book-4.svg.png" width="100%">
			<small><b>市民 - Wikipedia</b></small>
			<br>
			<small>市民</small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<p>つまり、参政権を持ち、共同体の防衛義務を果たす人、もしくは果たしている人は</p><p>自由人であるということ。</p><p>これは現代日本でいうと、参政権と防衛義務（これは実際に業務として防衛にあっている</p><p>人のみではなく、その防衛の費用たる税金を収めている人は広義に防衛に努めていると</p><p>解釈する）を担っているということは、それは国民、日本国民であるということに</p><p>ほかならない。</p><p><br></p><p>そうすると、リベラルアーツは、主権者のための技術（知識と知恵）と定義する</p><p>ことができる。</p><p>そうであれば、主権者のための知識と知恵とは何か？</p><p>知識の分野でいうと、政治と防衛というと何も政治的な権謀術策や軍事学のみを</p><p>いうのではなく、それこそ自然科学から、社会学、経済学等々の社会科学までも</p><p>包含される。</p><p>また、知恵つまり、実践や経験による叡智とするならば、歴史にほかならない。</p><p>つまりは、これまで教養とされてきたもの、近年ではあまり実用的ではないと</p><p>して、軽んじられるようなものが非常に重要であると考える。</p><p>「馬鹿とハサミは使いよう」とはよく言ったもので、教養もそう考えると</p><p>そのものを云々言うより、自らがいかにそれを使いこなすか、である。</p><p>この視座が、社会に対するガストロノミ的視座であると考え</p><p>この視座をさらによく考察するとともに</p><p>あわせて、いかにその視座を活かすか</p><p>社会にアプローチするかを考察していきたいと思う。</p>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/d495e63dc90cd67e1575e8d4667455d7_5b89c5c3b4dab02f68f6191adb689cbf.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		
]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.８ガストロノーム宣言]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3367578/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/045.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3367578</id><summary><![CDATA[「ガストロノミ」愉しみを考察するための、この「世界」の切り口の一つとして僕自身の「専門分野」（パーソナリティ）から導き出された解への糸口。これをもう少し詳しく見ていく。「ガストロノミ」とは何か？その定義は⬇・文化と料理の関係を考察すること・日本では美食術、美食学とも訳される・ガストロノミーとは、料理を中心として、様々な文化的要素で構成される。−Wikipedia−・食物摂取と完全に重なるわけではない・食物摂取は生命に必要であるが、ガストロノミはそれに加えて、食物の質と　味わいの表現と食べる際の快楽とを追求するものである・それは旨いものについての技法であり、ひいてはよい食事、高級料理を準備する技法である−ジャン・ヴィトー「ガストロノミ　美食のための知識と知恵」より抜粋−・ガストロノミとは、食生活を行う存在としての人間にかかわりのある　すべてのものについての理論的知識である・食物、それを手に入れること、調理することをガストロノミに含め、ガストロノミは　博物学、物理学、化学、商業、経済に、また医学、社会学に関連する−ブリア・サヴァラン　「美味礼賛」より抜粋−・料理は食物に磨きをかけること、ガストロノミは料理自体に磨きをかけること−ジャン=フランソワ･ルヴェル　「言葉による饗宴」−・｢美食｣の｢学｣のような静的な感じよりも、｢美(味しく)｣｢食(べる)｣ことを｢学(ぶ)｣・｢食を楽しむ知識と知恵｣としておきます。・食文化　文明が技術活動の結果であるのに対し、文化は精神活動の結果　食文化とは、人間の｢食に関する精神活動の産物｣ということになります。・食の美学　（美学−芸術、または自然や人生の上にひろく感じとられる美について、その本質や　　法則を明らかにする学問）　食の上にひろく感じとられる美について、その本質や法則を明らかにする学問・食を楽しむ知識と知恵を言わば蒸留していくと、本来の意味での｢食の美学｣に到達する　ガストロノミと食の美学とは、そのような関係ではないでしょうか。−佐原秋生　「美食学入門」より−と、古今東西においてそのお歴々が定義や考察をしている。しかし、そのエッセンスは何か？・単なる栄養補給や本能的な乾きを満たす単なる食欲とは一線を画すということ・食に対する精神的／文化的アプローチであるということ・食を楽しむための知識と知恵（知恵≒実践／経験から得られた知識）であるということ・その対象は単なる「食」だけにはとどまらす広く自然科学・社会科学にも広がるということそして、最も重要なことは、先にも上げたとおり、食を楽しむためで、食べる側のためのものであるということにあると考える。ガストロノミという概念そのものが、食べる側（主体）の視座で食をはじめ、物事を捉えるということ。受けてだが、受け身に甘んじず、主体的にその楽しみの知識と知恵を追求するということ。だと考える。食を、ともすると、受動的になりがちなものから、脱却して自ら、食べ手が主体となって楽しむということ。それが愉しむということ。食を愉しむ≒ガストロノミここで、HakoniWaマンダラを見直すと、このガストロノミの食の愉しみのエッセンスというのは、マンダラにおける「愉しむ」の要素とほぼ同じであることがわかるマンダラにおける「愉しむ」ことの要素は、ガストロノミと出会い、そのエッセンスを考察するうちにインスパイアされてできたものである。つまり、「ガストロノミ」自体が「愉しむ」ということを表すとも言える。「HakoniWa」を「ガストロノミ」する　⬇「あるもの」を「愉しむ」と解釈できる。つまり、ガストロノミの対象が「食」にとどまらす、発展するように、そのエッセンスについても、食をはじめとした様々な物事、とくに精神・文化・社会を「愉しむ」ことにも展開／発展し得るものであると考える。ガストロノミの実践者をガストロノームと表現するらしいが、ガストロノーム≒食に対する愉しみの考察・実践を通じて、社会・文化にも対象を展開しなんでもないもの（あるもの）を愉しむ、愉しいものにしてしまう人。と定義するならば、そしてそれを目指す道をガストロノミ道と呼ぶならば、その道をガストロノームを目指して歩いていきたい。]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2017-12-10T02:08:00+00:00</published><updated>2017-12-12T06:15:17+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<img src="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/045.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p class="">「ガストロノミ」</p><p class="">愉しみを考察するための、この「世界」の切り口の一つとして僕自身の</p><p class="">「専門分野」（パーソナリティ）から導き出された解への糸口。</p><p class="">これをもう少し詳しく見ていく。</p><p class="">「ガストロノミ」とは何か？</p><p class="">その定義は⬇</p><p class="">・文化と料理の関係を考察すること</p><p class="">・日本では美食術、美食学とも訳される</p><p class="">・ガストロノミーとは、料理を中心として、様々な文化的要素で構成される。</p><p class="">−Wikipedia−</p><p><br></p><p>・食物摂取と完全に重なるわけではない</p><p>・食物摂取は生命に必要であるが、ガストロノミはそれに加えて、食物の質と</p><p>　味わいの表現と食べる際の快楽とを追求するものである</p><p>・それは旨いものについての技法であり、ひいてはよい食事、高級料理を準備する技法である</p><p>−ジャン・ヴィトー「ガストロノミ　美食のための知識と知恵」より抜粋−</p><p><br></p><p>・ガストロノミとは、食生活を行う存在としての人間にかかわりのある</p><p>　すべてのものについての理論的知識である</p><p>・食物、それを手に入れること、調理することをガストロノミに含め、ガストロノミは</p><p>　博物学、物理学、化学、商業、経済に、また医学、社会学に関連する</p><p>−ブリア・サヴァラン　「美味礼賛」より抜粋−</p><p><br></p><p>・料理は食物に磨きをかけること、ガストロノミは料理自体に磨きをかけること</p><p>−ジャン=フランソワ･ルヴェル　「言葉による饗宴」−</p><p><br></p><p>・｢美食｣の｢学｣のような静的な感じよりも、｢美(味しく)｣｢食(べる)｣ことを｢学(ぶ)｣</p><p>・｢食を楽しむ知識と知恵｣としておきます。</p><p>・食文化</p><p>　文明が技術活動の結果であるのに対し、文化は精神活動の結果</p><p>　食文化とは、人間の｢食に関する精神活動の産物｣ということになります。</p><p>・食の美学</p><p>　（美学−芸術、または自然や人生の上にひろく感じとられる美について、その本質や</p><p>　　法則を明らかにする学問）</p><p>　食の上にひろく感じとられる美について、その本質や法則を明らかにする学問</p><p>・食を楽しむ知識と知恵を言わば蒸留していくと、本来の意味での｢食の美学｣に到達する</p><p>　ガストロノミと食の美学とは、そのような関係ではないでしょうか。</p><p>−佐原秋生　「美食学入門」より−</p><p>と、古今東西においてそのお歴々が定義や考察をしている。</p><p><br></p><p>しかし、そのエッセンスは何か？</p><p>・単なる栄養補給や本能的な乾きを満たす単なる食欲とは一線を画すということ</p><p>・食に対する精神的／文化的アプローチであるということ</p><p>・食を楽しむための知識と知恵（知恵≒実践／経験から得られた知識）であるということ</p><p>・その対象は単なる「食」だけにはとどまらす広く自然科学・社会科学にも広がるということ</p><p>そして、最も重要なことは、先にも上げたとおり、食を楽しむためで、食べる側のための</p><p>ものであるということにあると考える。</p><p>ガストロノミという概念そのものが、食べる側（主体）の視座で食をはじめ、物事を</p><p>捉えるということ。</p><p>受けてだが、受け身に甘んじず、主体的にその楽しみの知識と知恵を追求するということ。</p><p>だと考える。</p><p>食を、ともすると、受動的になりがちなものから、脱却して自ら、食べ手が主体と</p><p>なって楽しむということ。</p><p>それが愉しむということ。</p><p>食を愉しむ≒ガストロノミ</p><p><br></p><p>ここで、HakoniWaマンダラを見直すと、このガストロノミの食の愉しみの</p><p>エッセンスというのは、マンダラにおける「愉しむ」の要素とほぼ同じであることがわかる</p><p>マンダラにおける「愉しむ」ことの要素は、ガストロノミと出会い、そのエッセンスを</p><p>考察するうちにインスパイアされてできたものである。</p><p>つまり、「ガストロノミ」自体が「愉しむ」ということを表すとも言える。</p><p>「HakoniWa」を「ガストロノミ」する</p><p>　⬇</p><p>「あるもの」を「愉しむ」と解釈できる。</p><p><br></p><p>つまり、ガストロノミの対象が「食」にとどまらす、発展するように、そのエッセンスに</p><p>ついても、食をはじめとした様々な物事、とくに精神・文化・社会を「愉しむ」ことにも</p><p>展開／発展し得るものであると考える。</p><p><br></p><p>ガストロノミの実践者をガストロノームと表現するらしいが、</p><p>ガストロノーム≒食に対する愉しみの考察・実践を通じて、社会・文化にも対象を展開し</p><p>なんでもないもの（あるもの）を愉しむ、愉しいものにしてしまう人。</p><p>と定義するならば、そしてそれを目指す道をガストロノミ道と呼ぶならば、その道を</p><p>ガストロノームを目指して歩いていきたい。</p>
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/d495e63dc90cd67e1575e8d4667455d7_5b89c5c3b4dab02f68f6191adb689cbf.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		
]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.6コンセプト「HakoniWa」はコペルニクス的転回より生まれ出づる]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3336214/"></link><link rel="enclosure" type="image/png" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/c31f0d148439d29108287bd38cbfd2ae_61a704be7524356385616cf93c27f59f.png"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3336214</id><summary><![CDATA[「愉しみの３本柱」・ガストロノミ・リベラルアーツ・コミュニティ／コミュニケーションという僕自身の「愉しみ」を「愉しむ」ことのキーワードを導き出したが、それらをあぶり出すための、HakoniWaマンダラを作成するために基本となる、コンセプト（概念）を掲げた。それが、「HakoniWa（ハコニワ）」である。]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2017-12-03T08:43:11+00:00</published><updated>2017-12-04T02:26:20+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>「愉しみの３本柱」</p><p>・ガストロノミ</p><p>・リベラルアーツ</p><p>・コミュニティ／コミュニケーション</p><p>という僕自身の「愉しみ」を「愉しむ」ことのキーワードを</p><p>導き出したが、それらをあぶり出すための、HakoniWaマンダラを</p><p>作成するために基本となる、コンセプト（概念）を掲げた。</p><p>それが、「HakoniWa（ハコニワ）」である。</p>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/c31f0d148439d29108287bd38cbfd2ae_61a704be7524356385616cf93c27f59f.png?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p>もちろん、あの箱庭をもじったものである。</p><p>一言で言うと、「箱の中にミニチュアの庭園などを造ったもの」<br></p><p>参考↓</p>
		</div>
	
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B1%E5%BA%AD">
			<img src="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B1%E5%BA%AD/wikipedia/commons/thumb/5/5f/Disambig_gray.svg/25px-Disambig_gray.svg.png" width="100%">
			<small><b>箱庭 - Wikipedia</b></small>
			<br>
			<small>箱庭</small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<p>コンセプト「HakoniWa」</p><p>この概念に行き着いたとき、僕はコペルニクス的転回を体験した。</p><p><br></p><p>それは、人から見れば本当にささいなことだと思うが、僕自身に</p><p>ついては本当に天と地がひっくり返ったかのようだった。（盛ってます）</p><p>結論的に簡単に言うと、まさに「幸せの青い鳥」的なオチである。</p><p>「HakoniWa」に出会うまでは、このブログ：HakoniWa戯言での命題である</p><p>「愉しみ」について考察をしていたが、どうも考えが堂々巡りで実感が薄く</p><p>まるで濃い霧の中をさまよっているような感覚だった。</p><p>今思えば、それは答えをどこか遠いところにあるものだと思っていた</p><p>ココではない、どこかに、自分の外にあると思い込んでいた、ように思う。</p><p>（まるで、チルチルとミチルが青い鳥を探してあてのない旅をしたように。）</p><p><br></p><p>ある時そのときは訪れた。</p><p>堂々巡りも煮詰まるところまで煮詰まり、ふと、何かが違うと気がついた。（気がした）</p><p>そもそもの考え方が違うのでは？ひっくり返してみよう、と。</p><p>それでの考え</p><p>・探しているもの（愉しみ）はまだ出会っていない「ナニカ」である</p><p>　それは何かな？（漠然としすぎて、雲をつかむよう）</p><p>・自分にはなにができるんだ？無限の可能性があるから、これから</p><p>　新たになにか探してやってみよう！</p><p>　（つまりは、今はなにもできないということか？！）</p><p>これをまるっきり変えてみた、正反対にしてみた。</p><p>・探しているものは、もうすでに手の内にある。</p><p>　今ここにある、もしくは自分の中（経験）の中にある</p><p>・自分にはなにができるんだ？新たナニカをどこかに探すのではなく</p><p>　できることを自分自身（の経験）に聞いてみよう。　</p><p>するとどうだろう、霧がスッキリと晴れ渡っていく感覚がした。</p><p>答えはココにあったか！と。</p><p>（実際は、答えに通ずる道とでも表現すべきか）</p><p><br></p><p>そう考えると、自分自身が何かこう「箱庭」箱の中にミニチュアの</p><p>庭園などを造ったもの、というのとリンクして感じた。</p><p>結局は、何を望もうが望むまいが、そこに世界はあるのであって、</p><p>自分の生きている世界がある（まるで箱庭の箱）。</p><p>そこで、自分の持てるものでいかに、どんな庭園を作るか、</p><p>どんなアプローチをするかｂが問題である。</p><p>（枯山水のように、壮大な見立てをして愉しむこともできる。庭だけに）</p><p><br></p><p>外に（ここではないドコカ、今の自分ではないダレカに）誰答えがあるはずだ</p><p>と思っていた時は全く考えもしなかった。</p><p><br></p><p>結局は、何かを望もうが望むまいが、あるのはこの世界で、この世間で</p><p>ここにいるのも、ここに来たのも、ここから進むのも自分なんだと。</p><p>今、ここ、自分自身、そこからしか始まらない。</p><p>そうして、</p><p>コンセプト「HakoniWa」は生まれた。<br></p><p>それは、まさに「吾唯足るを知る」的精神である。</p><p>この語をしった時から、自身の可能性に蓋をするようなネガティブな言葉だなと</p><p>いう印象を持っていたが、それはその語の本質を捉えていなかっただけだと</p><p>今はそう、感じる。</p><p>「吾唯足るを知る」</p><p>それは、独自の解釈だが、今この時点でできることは限られるかもしれないが</p><p>それをしっかりやり切ることでしか、その先の未知は拓かれない、ということ。</p><p>もう十分で、これ以上の発展はなし、ということではなくて</p><p>ここから進むためには、自分を知り、やれることをやる、しっかりやる</p><p>それしか道はないんだよ、と。</p><p>近道があったり、ある日起きたら、スーパーマンになっていたりは</p><p>しないよとおいうこと。</p><p><br></p><p>今、ココにあるもの、それは有形・無形、様々あり、それをいかに「愉しみ」</p><p>として捉えるか、石を山と捉え、波模様をつけた砂利と海を例えるように。</p><p>そして、それをいかにして、「愉しむ」か。</p><p>いろいろ配置に工夫を凝らしたり、仲間とともに愛でたり、時間の経過を</p><p>楽しんだり、どういうアプローチをするか。</p><p>それが、「愉しみ」を「愉しむ」。</p><p>そして、「愉しみ」を考察して、「愉しむ」実践する。</p><p>ということに発展させていきたい。</p>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/d495e63dc90cd67e1575e8d4667455d7_5b89c5c3b4dab02f68f6191adb689cbf.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		
]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.７HakoniWaマンダラを読み解く〜ガストロノミとは？〜]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3330983/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/15411b53ca00a4af4361f4a31bdb42e9_d759257c9a8b8c7d33d8c683518bc93e.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3330983</id><summary><![CDATA[前回、コンセプト「HakoniWa」について書いた。]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2017-12-02T06:05:11+00:00</published><updated>2017-12-10T02:04:29+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/15411b53ca00a4af4361f4a31bdb42e9_d759257c9a8b8c7d33d8c683518bc93e.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p class="">前回、コンセプト「HakoniWa」について書いた。</p>
		</div>
	
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3336214">
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/c31f0d148439d29108287bd38cbfd2ae_61a704be7524356385616cf93c27f59f.png" width="100%">
			<small><b>HakoniWa戯言Vol.6コンセプト「HakoniWa」はコペルニクス的転回より生まれ出づる</b></small>
			<br>
			<small>「愉しみの３本柱」・ガストロノミ・リベラルアーツ・コミュニティ／コミュニケーションという僕自身の「愉しみ」を「愉しむ」ことのキーワードを導き出したが、それらをあぶり出すための、HakoniWaマンダラ</small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<p class="">要するには</p><p class="">・外へ目を向ける⇒解への糸口はミ自らの内に探す</p><p class="">・ないものねだり⇒あるもの探し、あるもの活かし</p><p class="">への（自分なりの）コペルニクス的転回的なコンセプトとしてまとめた。</p><p class=""><br></p><p class="">そこで、その糸口を探るべくまずは自らの内へと考察をすすめる。</p><p class=""><br></p><p class="">自分の内には何があるのか？</p><p class="">と自分を見つめ直し、振り返ってみる…</p><p class="">思わず途方にくれてしまうような感覚に苛まされる。</p><p class="">正直、誰しも（でもないかも知れないが）有名人には憧れを抱くもの</p><p class="">例えば、小さい頃に夢見たプロスポーツ選手、大きな企業を創った</p><p class="">実業家とか…</p><p class="">そんな淡い憧れが音を立てて崩れていくような…</p><p class="">そんな、感情をなんとか脇に捨て、自らをみていく。</p><p class="">たしかに、自分自身にはそういった各界の第一線で活躍する</p><p class="">できるような、才能はない。</p><p class="">もっとも、その第一線で活躍する方々とて、その才能のみに</p><p class="">甘んじているわけではなく、その非凡な才能に輪をかける</p><p class="">ようなたゆまぬ努力があることは言うまでもないことだが…</p><p class="">そして、そんな努力が内にあることもなく、偉人たちと自分を</p><p class="">比べようなどとはおこがましく…</p><p class="">とネガティブ根性は捨て置いて、そんな特段な才能・能力は</p><p class="">特に見当たらない、ただの凡人たる僕ではあるが、僕にも</p><p class="">間違いなくあるものがある。</p><p class="">それは、３３年という月日。</p><p class="">その３３年間を生きてきた自分。</p><p class="">まぁそれだけと言えば、それだけ。</p><p class="">ここから、さらに「HakoniWa」的にいかにそれを見て</p><p class="">いかに活かすか、ということが重要なことかと考える。</p><p class="">これまで、自分にとって何とともに過ごしてきた、なにが</p><p class="">支えとなってきたか、その時々楽しみはなにだったか？</p><p class="">なにを糧として前を向いてきたのか、たくさんの時間を</p><p class="">ともにしたものは？興味・関心の対象は？そして</p><p class="">どういう感性・価値観を醸成・培ってきたか？</p><p class=""><br></p><p class="">それらをまとめて表現したのが、「HakoniWaマンダラ」</p><p class="">あるものの要素として</p><p class="">・志</p><p class="">・社会</p><p class="">・仕事</p><p class="">・専門分野</p><p class="">として、あげたが「あるもの」≒言わば「世界」（時間軸も含めて）は</p><p class="">有機的に結合してて、個別では存在しえない。</p><p class="">つまり、これらの要素はそれぞれお互いがお互いとつながっている。</p><p class="">これらの要素はこの「世界」をよりわかりやすく（単純に？）「あるもの」</p><p class="">として捉えるための「切り口」とも言える。</p><p class=""><br></p><p class="">まずは、「HakoniWa」的一丁目一番地として、自らの内を探ること</p><p class="">マンダラ図でいうところの「専門分野」という要素、切り口で見ていきたい。</p><p class=""><br></p><p class="">「専門分野」または「パーソナリティ」としても言えるかなと考える。</p><p class="">これは、当然自分のこれまでの経験、そして得てきた知識・スキルと</p><p class="">ともに培ってきた感性、つまり興味・関心といったものが主要な要素と</p><p class="">なって、それらがそのまま専門分野呼ぶにふさわしいものになる場合も</p><p class="">あるし、直接ではなくそれらをブラッシュアップする形で専門分野と</p><p class="">する場合もあると思う。</p><p class="">僕自身の場合には、ともに大きな時間をともにし、興味・関心の対象に</p><p class="">なるのは「食」という分野であることには間違いないなと考えた。</p><p class="">ただ、これだけだと対象が粗すぎて、「愉しみ」して捉えるにはここに</p><p class="">「愉しむ」要素としての</p><p class="">・多様性</p><p class="">・哲学・思想</p><p class="">・主体性</p><p class="">・関係性</p><p class="">をさらなる切り口として、この「食」分野を捉えた時に</p><p class="">浮かび上がってきたものが「ガストロノミ」である。</p>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/d495e63dc90cd67e1575e8d4667455d7_5b89c5c3b4dab02f68f6191adb689cbf.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		
]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.5「愉しみ」を「愉しむ」]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3326381/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/d495e63dc90cd67e1575e8d4667455d7_5b89c5c3b4dab02f68f6191adb689cbf.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3326381</id><summary><![CDATA[これまで、「愉しみ」とはなんぞや？ということについて、その概念について考察してきたが、今回は実際にその「愉しみ」とは何か？について考えていきたい。前回、前々回において、その「愉しみ」や「成長」そのものについて、それが具体的な何か？というのは、百人百様にあると述べた。それぞれが、短いか長いかは分からないが、その人生、それまでの経験の中で醸成されるものだと思う。つまり、すでにその答えは自分自身の中にあるのだと思う。これまでの人生において、それ（愉しみ）はずっとそこ（自らの内）にあった、身の回りであったり、経験してきたものの中に「愉しみ」の「タネ」は確実にあった（ハズ）。ただ、それを「愉しみ」だとして見てこなかった、もしくは「愉しむ」ことをしてこなかったのではないか、と考えた。そう、「愉しみ」とはあるモノやコトを「愉しみ」としての捉えをそれを「愉しむ」ことをもってはじめて、その真価を発揮するのだと思う。そこで、自分なりに「愉しむ」べく「あるもの」とその「愉しむ」ことについての、要素をまとめてみた。⇩　【HakoniWaマンダラ】]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2017-12-01T07:38:15+00:00</published><updated>2017-12-02T06:09:58+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>これまで、「愉しみ」とはなんぞや？</p><p>ということについて、その概念について考察してきたが、今回は</p><p>実際にその「愉しみ」とは何か？について考えていきたい。</p><p>前回、前々回において、その「愉しみ」や「成長」そのものに</p><p>ついて、それが具体的な何か？というのは、百人百様にあると述べた。</p><p>それぞれが、短いか長いかは分からないが、その人生、それまでの</p><p>経験の中で醸成されるものだと思う。</p><p><br></p><p>つまり、すでにその答えは自分自身の中にあるのだと思う。</p><p>これまでの人生において、それ（愉しみ）はずっとそこ（自らの内）</p><p>にあった、身の回りであったり、経験してきたものの中に「愉しみ」の</p><p>「タネ」は確実にあった（ハズ）。</p><p>ただ、それを「愉しみ」だとして見てこなかった、もしくは</p><p>「愉しむ」ことをしてこなかったのではないか、と考えた。</p><p>そう、「愉しみ」とはあるモノやコトを「愉しみ」としての捉えを</p><p>それを「愉しむ」ことをもってはじめて、その真価を発揮するのだと思う。</p><p><br></p><p>そこで、自分なりに「愉しむ」べく「あるもの」とその</p><p>「愉しむ」ことについての、要素をまとめてみた。</p><p>⇩　【HakoniWaマンダラ】</p>
		</div>
	
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		</div>
		

		<div>
			<p>・青丸に「あるもの」についての要素</p><p>・緑丸に「愉しむ」ことについての要素</p><p>これを眺めながら、自分自身にとって具体的に「愉しみ」とは何か？</p><p>あれこれ逡巡しているうちに、３つのキーワード</p><p>僕自身の「愉しみの３本柱」とも呼ぶべきものが浮かび上がってきた。</p><p>それは・・・</p><p>・ガストロノミ</p><p>・リベラルアーツ</p><p>・コミュニティ／コミュニケーション</p><p>という３つである。</p><p>次回からは、この「愉しみの３本柱」について</p><p>考えを詰めていきたい。</p><p><br></p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.4成長とはいかに？]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3320112/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/045.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3320112</id><summary><![CDATA[前回では、「愉しみ」≒「成長」を伴う楽しみと定義づけてみると提案した。今回は、その「成長」について考察してみたい。さて、「成長」と聞くと、日々成長を実感しようみたいに聞くとなにかこう昨今よく耳にする意識高い系とやらのことかなとか上昇志向の塊のように聞こえてしまうかも知れない。しかし、それは「成長」というものの一面的な捉え方にすぎないと思う。物事は、常に多面的でさまざまな意味合いを包含している。言葉についても然り。その一つひとつを、いかに捉え、自分に活かすことができるかが大事だと考える。そこで「成長」というものをいかに捉えるか考えていきたい。そう、「成長」とはなにか？それは・・・・何かしら、精神的、心の、または感性の充実や満足、達成のこと・肉体的身体的な成長や変化のように数値化が難しいもの　（身長や体重、５０ｍ走のタイムとか）　または、学校の試験の順位のような、客観的・相対的な数字で　見比べるものではなく、極めて主観的に感じるもの・成長の基準・目安は自らの感性に聞くしかない　そもそも、楽しみの基準は自分の感性に依拠しているもの・結果、自分の感性に従い成長できたのかどうか、自分の感性は　正しかったかどうかは、それこそ　♪死ん　でから問うべき〜♪　である。という風に定義付け／捉える。重要なのは、「成長」という語で表現されるものからモチベーションが湧いてくるか？ということ。それにより、突き動かされるか、やらずにはおれないかというところまでいけば、理想だなと考える。とどのつまり、「目的」や「成長」、「愉しみ」というのはモチベーション、つまり活力と言い換えてもいい、の源泉の「何か」を状態別、見る側面を変えて表現しているだけで同じものを言い表しているだけかもしれない。これらの言葉が実際に自分自身にとって具体的になになのか？を考えていきたい。]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2017-11-30T05:45:08+00:00</published><updated>2017-11-30T06:25:27+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<img src="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/045.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p class="">前回では、「愉しみ」≒「成長」を伴う楽しみと定義づけてみる</p><p class="">と提案した。</p><p class="">今回は、その「成長」について考察してみたい。</p><p class=""><br></p><p class="">さて、「成長」と聞くと、日々成長を実感しようみたいに聞くと</p><p>なにかこう昨今よく耳にする意識高い系とやらのことかなとか</p><p>上昇志向の塊のように聞こえてしまうかも知れない。</p><p>しかし、それは「成長」というものの一面的な捉え方にすぎないと</p><p class="">思う。</p><p>物事は、常に多面的でさまざまな意味合いを包含している。</p><p>言葉についても然り。</p><p>その一つひとつを、いかに捉え、自分に活かすことができるか</p><p>が大事だと考える。</p><p>そこで「成長」というものをいかに捉えるか考えていきたい。</p><p>そう、「成長」とはなにか？</p><p>それは・・・</p><p>・何かしら、精神的、心の、または感性の充実や満足、達成のこと</p><p>・肉体的身体的な成長や変化のように数値化が難しいもの</p><p>　（身長や体重、５０ｍ走のタイムとか）</p><p>　または、学校の試験の順位のような、客観的・相対的な数字で</p><p>　見比べるものではなく、極めて主観的に感じるもの</p><p>・成長の基準・目安は自らの感性に聞くしかない</p><p>　そもそも、楽しみの基準は自分の感性に依拠しているもの</p><p>・結果、自分の感性に従い成長できたのかどうか、自分の感性は</p><p>　正しかったかどうかは、それこそ　♪死ん　でから問うべき〜♪</p><p>　である。</p><p>という風に定義付け／捉える。</p><p>重要なのは、「成長」という語で表現されるものから</p><p>モチベーションが湧いてくるか？ということ。</p><p>それにより、突き動かされるか、やらずにはおれないか</p><p>というところまでいけば、理想だなと考える。</p><p><br></p><p>とどのつまり、「目的」や「成長」、「愉しみ」というのは</p><p>モチベーション、つまり活力と言い換えてもいい、の源泉の</p><p>「何か」を状態別、見る側面を変えて表現しているだけで</p><p>同じものを言い表しているだけかもしれない。</p><p><br></p><p>これらの言葉が実際に自分自身にとって</p><p>具体的になになのか？を考えていきたい。</p><p><br></p><p><br></p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.3「愉しみ」ってなんだ？その２]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3302315/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/113.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3302315</id><summary><![CDATA[前回はこのブログのテーマたる「愉しみ」についてなぜ、愉しみをテーマに据えるか？について書いてみた。今回は、その「愉しみ」自体にを当てていく。・「愉しみ」とは何か？・「愉しみ」を「愉しむ」とはどういうことか？まずは・「愉しみ」とは何か？結論的に端的に表現すると「成長を伴う楽しみ」と定義したいと思う。「人生の目的」とはどうあるべきか？と考えた時、なんのために人は日々奮闘しているのか？お金のためか？それも一理ある、しかしそれは、目的ではなく、手段ではないかと思う。お金は手段であり、目的ではないはずである。では、それはなんの手段か？自らが食べていくため、家族をたべさせるためそして、「楽しみ」のためではないかと考えた。ただ、その「楽しみ」の中にも様々なものがある。先に上げた、家族を養い、子や孫の誕生やその成長を見ること。これは紛れもなく至上の「楽しみ」の一つで、ヒトという種の存続という本能に立脚した根源的なものだろうと思う。これはこれで完結している。そのような種としての楽しみとともに、人は個人としての楽しみを百人百様で様々に各々が楽しんでいることと思う。例えば、ウィークデーの憂さ晴らしお酒を飲む人もいるだろう（汗）または、健康のためにしているジョギングを楽しみとしている方もいるだろう、預金通帳の残高が増えていくのを眺めるのが楽しみだとういう人は、安心のためなのかも知れない。そんなか、「人生の目的」として「愉しみ」を定義すべくその本質は何か？と問うと、先に上げた、種の存続のような本能的、根源的な「楽しみ」と同等のものがあるのではなかろうか？と考えたところ･･･それはやはり、一人間、個人としての「成長」ではないかと考えたわけです。「愉しみ」≒「成長を伴う楽しみ」≒「人生の目的」という仮定を提案して、いろいろ考察のアラはあると思いますが、今回はこの辺まで。]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2017-11-27T01:06:12+00:00</published><updated>2017-11-30T05:26:38+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<img src="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/113.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p>前回はこのブログのテーマたる「愉しみ」について</p><p>なぜ、愉しみをテーマに据えるか？について書いてみた。</p><p>今回は、その「愉しみ」自体にを当てていく。</p><p>・「愉しみ」とは何か？</p><p>・「愉しみ」を「愉しむ」とはどういうことか？</p><p><br></p><p>まずは</p><p>・「愉しみ」とは何か？</p><p>結論的に端的に表現すると</p><p>「成長を伴う楽しみ」と定義したいと思う。</p><p><br></p><p>「人生の目的」とはどうあるべきか？</p><p>と考えた時、なんのために人は日々奮闘しているのか？</p><p>お金のためか？それも一理ある、しかしそれは、目的</p><p>ではなく、手段ではないかと思う。</p><p>お金は手段であり、目的ではないはずである。</p><p>では、それはなんの手段か？</p><p>自らが食べていくため、家族をたべさせるため</p><p>そして、「楽しみ」のためではないかと考えた。</p><p>ただ、その「楽しみ」の中にも様々なものがある。</p><p>先に上げた、家族を養い、子や孫の誕生やその成長を見ること。</p><p>これは紛れもなく至上の「楽しみ」の一つで、ヒトという</p><p>種の存続という本能に立脚した根源的なものだろうと思う。</p><p>これはこれで完結している。</p><p><br></p><p>そのような種としての楽しみとともに、人は個人としての</p><p>楽しみを百人百様で様々に各々が楽しんでいることと思う。</p><p>例えば、ウィークデーの憂さ晴らしお酒を飲む人もいるだろう（汗）</p><p>または、健康のためにしているジョギングを楽しみとしている</p><p>方もいるだろう、預金通帳の残高が増えていくのを眺めるのが</p><p>楽しみだとういう人は、安心のためなのかも知れない。</p><p><br></p><p>そんなか、「人生の目的」として「愉しみ」を定義すべく</p><p>その本質は何か？と問うと、先に上げた、種の存続のような</p><p>本能的、根源的な「楽しみ」と同等のものがあるのでは</p><p>なかろうか？と考えたところ･･･</p><p><br></p><p>それはやはり、一人間、個人としての「成長」では</p><p>ないかと考えたわけです。</p><p><br></p><p>「愉しみ」≒「成長を伴う楽しみ」≒「人生の目的」</p><p>という仮定を提案して、いろいろ考察のアラはあると</p><p>思いますが、今回はこの辺まで。</p><p><br></p><p><br></p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[俺のガストロノミvol.1イタリアの赤いヤツ]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3294454/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/64b6d8ae8888d69f2538cd7aab04d27c_02471bf6d4b9a3c51a21a43619606646.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3294454</id><summary><![CDATA[カンピオーネ　サンジョベーゼ　リゼルヴァ]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2017-11-25T05:53:10+00:00</published><updated>2017-11-25T06:18:34+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://www.instagram.com/p/BbzCoKXlXrq/">
			<img src="https://scontent-nrt1-1.cdninstagram.com/t51.2885-15/s640x640/sh0.08/e35/23734714_119952148782668_1130478638332903424_n.jpg" width="100%">
			<small><b>休日ディナー
#ワイン #イタリアワイン #サンジョベーゼ #リゼルヴァ #ローストチキン #食べ比べ #スパイシーに軍配 #秋の夜長に</b></small>
			<br>
			<small></small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<div>カンピオーネ　サンジョベーゼ　リゼルヴァ</div>
		</div>
	
		<div>
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		</div>
		

		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/166cb0e2b8be21090704b8c2e980d990_e6150b18ef5f6bd978eda9ac12ef2d10.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/b406a7be41c07fc19a619293e5544be8_fd696fd494db4e3a39583ad9dba678af.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<div>ものすごい甘い果実の香り</div><div>カシスなのか？</div><div>口当たりにインパクトのあるボリューム感</div><div>パンチの利いた渋味に負けず劣らずの</div><div>酸味も顔を見せ、余韻を引き締める</div><div>この酸味を俗に言う"閉じている"というのか？</div><div>経験値と知識の絶対的不足を痛感する</div><div>しかし、これで1,290円(税別)はいい</div><div>チキンのスパイシー焼きに相性抜群</div><div>また飲みたい</div><div><br></div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.2 「愉しみ」ってなんだ？]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3290082/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/084.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3290082</id><summary><![CDATA[第2回は「愉しみ」について考えてみる。このブログを通じてのテーマ（命題）として掲げた“「愉しみ」を考察する”について、まず「愉しみ」について考えてみたい。そもそも、なぜ「愉しみ」なのか？これは、僕自身の中でずっとくすぶっている問題意識による。それは大学時代に一時顕在化したが、就職して以降は心の底流へと沈み込んでいたものと思われる。自問自答を続ける中で、その奥底へ潜んでいた問題意識に突き当たった。そのことに、このブログを書いてみようというキッカケがある。その問題意識とは？自身の好奇心や関心といったものの源泉となっているものと思われる。それは…「人生の目的とはなにか？何のために人は生きるのか？」という問いである。ケツメイシの「オレの道 オマエの道」という曲の歌詞に♪人生の目的　なんて死ん　でから問うべき♪という箇所があるが、僕はそうは思わない。もちろんケツメイシは大好きなアーティストだし、この歌も好き、一般論をしているのではなく、僕はそう思う、ということ。人生の意義は何であったかだとか、功績や評価などは死んでから問うべきとは思う。しかし、目的は？、何のために生きるか？という問いは生きている時にこそ問い続けたいし、その目線の先に自分なりの解を持っておきたい、仮説であっても。人生を旅に例えると、その目的（地）がないことにはどこへ行ったらいいのか、そもそもどこかへ行く必要があるのか？（生きると必要があるのか？いいかえれる？）というふうに路頭に迷う危険性を感じる。そこで、たとえ仮だとしても、目的（地）をもつことで一歩、また一歩と前に進むことができるし、それが前だと信じることができる。つまり、好奇心・関心といったものの源泉、モチベーションが生まれることになる。そこで、自身の根源的な問いにたいする自分なりの解として「愉しみ」であるという仮説を立て、これからそれを立証すべく一歩一歩進んでいきたいなと思っている次第です。また、もう少し言葉を加えると「愉しみ」を「愉しむ」ということである。このことをさらに、次回以降考察を発展させていきたい。]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2017-11-24T06:42:44+00:00</published><updated>2017-11-30T06:12:40+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<img src="https://static.amebaowndme.com/madrid-static/gallery/084.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p class="">第2回は「愉しみ」について考えてみる。</p><p class="">このブログを通じてのテーマ（命題）として掲げた</p><p class="">“「愉しみ」を考察する”について、まず「愉しみ」に</p><p class="">ついて考えてみたい。</p><p class="">そもそも、なぜ「愉しみ」なのか？</p><p class="">これは、僕自身の中でずっとくすぶっている問題意識による。</p><p class="">それは大学時代に一時顕在化したが、就職して以降は心の</p><p class="">底流へと沈み込んでいたものと思われる。</p><p class="">自問自答を続ける中で、その奥底へ潜んでいた問題意識に</p><p class="">突き当たった。</p><p class="">そのことに、このブログを書いてみようというキッカケがある。</p><p class="">その問題意識とは？</p><p class="">自身の好奇心や関心といったものの源泉となっているものと</p><p class="">思われる。</p><p class="">それは…</p><p class="">「人生の目的とはなにか？何のために人は生きるのか？」</p><p class="">という問いである。</p><p class="">ケツメイシの「オレの道 オマエの道」という曲の歌詞に</p><p class="">♪人生の目的　なんて死ん　でから問うべき♪</p><p class="">という箇所があるが、僕はそうは思わない。</p><p class="">もちろんケツメイシは大好きなアーティストだし、この歌も</p><p class="">好き、一般論をしているのではなく、僕はそう思う、ということ。</p><p class=""><br></p><p class="">人生の意義は何であったかだとか、功績や評価などは</p><p class="">死んでから問うべきとは思う。</p><p class="">しかし、目的は？、何のために生きるか？という問いは</p><p class="">生きている時にこそ問い続けたいし、その目線の先に</p><p class="">自分なりの解を持っておきたい、仮説であっても。</p><p class=""><br></p><p class="">人生を旅に例えると、その目的（地）がないことには</p><p class="">どこへ行ったらいいのか、そもそもどこかへ行く必要が</p><p class="">あるのか？（生きると必要があるのか？いいかえれる？）</p><p class="">というふうに路頭に迷う危険性を感じる。</p><p class="">そこで、たとえ仮だとしても、目的（地）をもつことで</p><p class="">一歩、また一歩と前に進むことができるし、それが</p><p class="">前だと信じることができる。</p><p class="">つまり、好奇心・関心といったものの源泉、モチベーション</p><p class="">が生まれることになる。</p><p class=""><br></p><p class="">そこで、自身の根源的な問いにたいする自分なりの解として</p><p class="">「愉しみ」であるという仮説を立て、これからそれを<br></p><p class="">立証すべく一歩一歩進んでいきたいなと思っている次第です。</p><p class="">また、もう少し言葉を加えると</p><p class="">「愉しみ」を「愉しむ」ということである。</p><p class="">このことをさらに、次回以降考察を発展させていきたい。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[HakoniWa戯言Vol.1 ブログ始めました。テーマは「愉しみ」の考察]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3277934/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/54cb8e3903845ef82c0163b5367d9bbc_ddc5f11c059ef478eb8867e035515c34.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/3277934</id><summary><![CDATA[もとい、本格的にブログを始めようと思います。目的は大きく２つ。まず１つ目は自分自身の日々において考えたことや、気づきまたは学びを整理したり、まとめたりしたいということ。２つ目は、どうしても一人であれこれ考えだすとその思考の方向性が一方向、そしてその出口的なものが閉じがちになるのでもし奇特な方がいらして、少しでも興味をお持ち頂いたらご指摘なんか頂ければという淡い期待をしていることタイトルは「HakoniWa戯言（ハコニワギゲン）」HakoniWa（ハコニワ）については追々整理・まとめていきます。戯言は、そのまま戯れ言（ざれごと）一貫するテーマ（命題）としては、「愉しみ」の考察「楽しみ」ではなく「愉しみ」自分自身の興味・関心についての考えていること、その思考、思索を文章にすることで整理できれば、それによって「愉しみ」を考察していきたいと思います。Vol.1はこんな決意表明・備忘録的にしておきます。]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2017-11-21T21:02:20+00:00</published><updated>2017-11-24T08:52:36+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/54cb8e3903845ef82c0163b5367d9bbc_ddc5f11c059ef478eb8867e035515c34.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p class="">もとい、</p><p class="">本格的にブログを始めようと思います。</p><p class="">目的は大きく２つ。</p><p>まず１つ目は自分自身の日々において考えたことや、気づき</p><p class="">または学びを整理したり、まとめたりしたいということ。</p><p>２つ目は、どうしても一人であれこれ考えだすとその思考の</p><p class="">方向性が一方向、そしてその出口的なものが閉じがちになるので</p><p>もし奇特な方がいらして、少しでも興味をお持ち頂いたら</p><p>ご指摘なんか頂ければという淡い期待をしていること</p><p><br></p><p>タイトルは「HakoniWa戯言（ハコニワギゲン）」</p><p>HakoniWa（ハコニワ）については追々整理・まとめていきます。</p><p>戯言は、そのまま戯れ言（ざれごと）</p><p>一貫するテーマ（命題）としては、「愉しみ」の考察</p><p>「楽しみ」ではなく「愉しみ」</p><p>自分自身の興味・関心についての考えていること、その思考、思索を文章に</p><p>することで整理できれば、それによって「愉しみ」を考察していきたい</p><p>と思います。</p><p>Vol.1はこんな決意表明・備忘録的にしておきます。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[キンキンのシュワシュワと食べ比べ]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/2918474/"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/2918474</id><summary><![CDATA[◇今日の１本◇スパークリングワインジャクリーヌ 　ドゥミセックドゥミセックということでやや甘口しかし、その甘さにいやらしさが全くなく口に含んで～のど越しにかけて心地いいボリューム感を感じさせてくれるあと口は一貫して感じるスパークリングのミネラル感がバランスよく味わいを収斂させていて、ねちっこいとは程遠い、コク感からくる余韻のおいしさを感じさせてくれる◇今日の肴◇・鶏のセセリのアヒージョ・ベーコンステーキ　いちじくジャムソースと柚子胡椒クリームチーズの食べ比べ]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2017-09-09T07:16:07+00:00</published><updated>2017-10-29T01:16:38+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>◇今日の１本◇<br></p><p>スパークリングワイン</p><p>ジャクリーヌ 　ドゥミセック</p><p>ドゥミセックということでやや甘口</p><p>しかし、その甘さにいやらしさが全くなく</p><p>口に含んで～のど越しにかけて心地いいボリューム感を感じさせてくれる</p><p>あと口は一貫して感じるスパークリングのミネラル感がバランスよく</p><p>味わいを収斂させていて、ねちっこいとは程遠い、コク感からくる</p><p>余韻のおいしさを感じさせてくれる</p><p>◇今日の肴◇</p><p>・鶏のセセリのアヒージョ</p><p>・ベーコンステーキ</p><p>　いちじくジャムソースと柚子胡椒クリームチーズの食べ比べ</p>
		</div>
	
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://www.instagram.com/p/BYswWzaFulx/?hl=ja&taken-by=shinji.no.4401.no.1">
			<img src="https://scontent-nrt1-1.cdninstagram.com/t51.2885-15/s480x480/e35/21433321_1449619908454208_5711367525044846592_n.jpg" width="100%">
			<small><b>無性に肉が食べたくなりまして
いただきます
#ベーコン #ベーコンステーキ #アヒージョ #せせり #いちじくジャムソース #クリームチーズとゆず胡椒 #たまには料理男子 #スパークリングワイン #フ</b></small>
			<br>
			<small></small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<p>◇今日のマリアージュ◇</p><p>本日のマリアージュはプチ感動ともいえるような非常に良いものとなった</p><p>特には、本日の１本とベーコンステーキのいちじくジャムソース</p><p>完熟いちじくで作った自家製ジャムを使ったソースとベーコンの塩味</p><p>それと本日の１本の華やかな香りとボリューム感が相まってお互いを</p><p>引き立てあい</p><p>それでいて、後口のミネラル感がその余韻を存分に演出してくれた</p><p>自信をもってお薦めのできるマリアージュだと胸が張れる</p><p>味わいの方向性が同じであれば、お互いが引き立つのか？</p><p>これを参考にして、またもっとマリアージュについての考察を深めていきたい</p><p><br></p><p>なお、柚子胡椒クリームチーズについては白を合わせてみたいと思わせる味</p><p>次の機会には是非そうしてみたい</p><p><br></p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[抗いがたい、ロゼの誘惑…]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/2890845/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/ddddc60def982291d3441f327f5f1f98_a20df3672556867336d1302513744a7a.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/2890845</id><summary><![CDATA[◇今日の一本◇ドメーヌ・ドゥデ・ノーダン　ピノノワール　ロゼ　２０１５]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2017-09-03T05:59:12+00:00</published><updated>2017-10-29T01:16:10+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>◇今日の一本◇</p><p>ドメーヌ・ドゥデ・ノーダン　ピノノワール　ロゼ　２０１５</p>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/ddddc60def982291d3441f327f5f1f98_a20df3672556867336d1302513744a7a.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p>鮮やかで透明感のある桜色、少しばかりオレンジの印象もあり</p><p>まろやかな酸味と嫌味のないボリューム、キレの良い余韻</p><p>ミネラル感というよりは、花の香と少しの未完熟感を感じる</p><p>若々しさを感じさせるワイン</p><p>◇今回のマリアージュのお相手◇</p><p>①ドライカレー</p>
		</div>
	
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://www.instagram.com/p/BYf1NJHFw1w/?hl=ja&taken-by=shinji.no.4401.no.1">
			<img src="https://scontent-nrt1-1.cdninstagram.com/t51.2885-15/s480x480/e35/21149210_827468787427680_5127887318711009280_n.jpg" width="100%">
			<small><b>カレーとパンとロゼ

#カレー #ドライカレー #パンの中にカレー #ワイン #ロゼ #フランスワイン #ブルゴーニュ #ピノノワール</b></small>
			<br>
			<small></small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<p>②山かけソバとジャコ天＆スダチ</p>
		</div>
	
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://www.instagram.com/p/BYf1lLeF3rp/?hl=ja&taken-by=shinji.no.4401.no.1">
			<img src="https://scontent-nrt1-1.cdninstagram.com/t51.2885-15/s480x480/e35/21149283_362680674166701_4381793242459406336_n.jpg" width="100%">
			<small><b>トロロソバとジャコ天とすだち
にロゼ
#ワイン #フランスワイン #ロゼ #ブルゴーニュ #ピノノワール #そば #とろろ #ジャコ天 #じゃこてん #天ぷら #すだち</b></small>
			<br>
			<small></small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<p>③明太子高菜チャーハンオムレツ</p>
		</div>
	
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://www.instagram.com/p/BYkBGTlliSb/?hl=ja&taken-by=shinji.no.4401.no.1">
			<img src="https://scontent-iad3-1.cdninstagram.com/t51.2885-15/s480x480/e35/21371660_121425355180669_8001648355916644352_n.jpg" width="100%">
			<small><b>明太子高菜オムライスとロゼ
#オムライス #明太子 #高菜 #ワイン #ロゼ #フランスワイン #ブルゴーニュ</b></small>
			<br>
			<small></small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<p>そのマリアージュの結果は</p><p>・・・</p><p>・・・</p><p>正直・・・</p><p>①～③のどれも、感動のマリアージュ、お互いがお互いを高めあうという</p><p>組み合わせでは、残念ながら、なかった</p><p>どうも、カレーというとなぜか、ロゼが飲みたいなという誘惑にかられる</p><p>飲んだ後の感想的には、ライト～ミディアムボディぐらいのスパイシーな赤が</p><p>よかったかなと思う、前のカレーの時も同じことやった気が…</p><p>知らぬ間に、前にフラれたような女性がきになって、おんなじようにフラれた</p><p>かのような気分…W（自嘲）</p><p>まだまだ、知識も経験も不足していると痛感</p><p>が、めげずにガンガン飲んでいこ！</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[ガストロノミ日記　鴨肉スモークと日本ワイン]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/2716638/"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/2716638</id><summary><![CDATA[今日は嫁さんの姉さん’ｓ家族を我が家でおもてなし［自家製メニュー］・鴨もも肉の燻製　〜柚子胡椒と南蛮味噌添え〜・エビの燻製［飲み物］・奥尻ワイナリー　ピノグリ［材料］・鴨もも肉･･･２枚（６００ｇぐらい？）・下漬け液　水：３５０ｃｃ　塩：９０ｇ　砂糖：１５ｇ　醤油：２０ｃｃ　上記を混ぜて煮立たせて弱火で１０分煮る・玉ねぎ：適量・人参：適量・山椒：少々［レシピ］・肉の筋を取り除き、塩を一振り揉み込んで冷蔵庫で約１日寝かす・下漬け液に玉ねぎ、人参の薄切りと山椒とともに肉を漬け、冷蔵庫で約３日寝かす・鍋に水を張って、２時間の塩抜き・新しい水を入れ、下漬けした液を１００ｃｃ入れて火をかけ７０℃で５分　予熱で３０分・オリーブオイルを塗る・燻製器につるして、１時間ほど風乾し、その後１時間の燻製　７０℃でいきたかったが、外気温の高さもあって（？）９０℃〜７５℃になってしまった・エビは塩を振って３０分ほど置いて鴨同様にスモーク　（本来は１時間ほど置いときたい）［所管］・燻製としての風味もよく美味しく頂けた・次回への改善点としては　今回もベーコンに引き続き、塩抜きの時間が足らず少し文句を付けるなら塩がちょっと　出しゃばりすぎたかなと、塩抜きはしっかり目にしないとということ　骨なしの肉だったので、火の通りがよく、ボイルは必要なかったかなと　イメージとしては、外はべっ甲色、中は桜色、実際は外べっ甲、なか茶色　スモークのみでじっくり火を通すべきだったかなと　塩加減と火加減は奥が深い…　精進致します［マリアージュ］ワインは文句なしに旨い問題は食べる側の力量で、合わせ方は最大の焦点やはりここでも塩味がキーになった本当のお互いがお互いを引き立て合うというには少し塩が出しゃばったかなと…これも奥が深いなかなかマリアージュ（結婚）は言い得て妙だなと…]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2017-07-27T05:56:26+00:00</published><updated>2017-10-29T01:15:37+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://www.instagram.com/p/BXBnPw5lftI/?taken-by=shinji.no.4401.no.1&hl=ja">
			<img src="https://scontent-nrt1-1.cdninstagram.com/t51.2885-15/s480x480/e35/20347192_946454348826575_1623379539172261888_n.jpg" width="100%">
			<small><b>スモーク日和
暑い日にキンと冷やした白がいい
#スモーク #燻製 #手作り #自家製 #鴨肉 #海老 #ワイン #白ワイン #日本ワイン #奥尻島 #奥尻ワイナリー #北海道ワイン #ピノグリ</b></small>
			<br>
			<small></small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<p class="">今日は嫁さんの姉さん’ｓ家族を我が家でおもてなし</p><p class="">［自家製メニュー］</p><p class="">・鴨もも肉の燻製</p><p class="">　〜柚子胡椒と南蛮味噌添え〜</p><p class="">・エビの燻製</p><p class="">［飲み物］</p><p class="">・奥尻ワイナリー　ピノグリ</p><p class="">［材料］</p><p class="">・鴨もも肉･･･２枚（６００ｇぐらい？）</p><p class="">・下漬け液</p><p class="">　水：３５０ｃｃ</p><p class="">　塩：９０ｇ</p><p class="">　砂糖：１５ｇ</p><p class="">　醤油：２０ｃｃ</p><p class="">　上記を混ぜて煮立たせて弱火で１０分煮る</p><p class="">・玉ねぎ：適量</p><p class="">・人参：適量</p><p class="">・山椒：少々</p><p class="">［レシピ］</p><p class="">・肉の筋を取り除き、塩を一振り揉み込んで冷蔵庫で約１日寝かす</p><p class="">・下漬け液に玉ねぎ、人参の薄切りと山椒とともに肉を漬け、冷蔵庫で約３日寝かす</p><p class="">・鍋に水を張って、２時間の塩抜き</p><p class="">・新しい水を入れ、下漬けした液を１００ｃｃ入れて火をかけ７０℃で５分</p><p class="">　予熱で３０分</p><p class="">・オリーブオイルを塗る</p><p class="">・燻製器につるして、１時間ほど風乾し、その後１時間の燻製</p><p class="">　７０℃でいきたかったが、外気温の高さもあって（？）９０℃〜７５℃になってしまった</p><p class="">・エビは塩を振って３０分ほど置いて鴨同様にスモーク</p><p class="">　（本来は１時間ほど置いときたい）</p><p class="">［所管］</p><p class="">・燻製としての風味もよく美味しく頂けた</p><p class="">・次回への改善点としては</p><p class="">　今回もベーコンに引き続き、塩抜きの時間が足らず少し文句を付けるなら塩がちょっと</p><p class="">　出しゃばりすぎたかなと、塩抜きはしっかり目にしないとということ</p><p class="">　骨なしの肉だったので、火の通りがよく、ボイルは必要なかったかなと</p><p class="">　イメージとしては、外はべっ甲色、中は桜色、実際は外べっ甲、なか茶色</p><p class="">　スモークのみでじっくり火を通すべきだったかなと</p><p class="">　塩加減と火加減は奥が深い…</p><p class="">　精進致します</p><p class="">［マリアージュ］</p><p class="">ワインは文句なしに旨い</p><p class="">問題は食べる側の力量で、合わせ方は最大の焦点</p><p class="">やはりここでも塩味がキーになった</p><p class="">本当のお互いがお互いを引き立て合うというには</p><p class="">少し塩が出しゃばったかなと…これも奥が深い</p><p class="">なかなかマリアージュ（結婚）は言い得て妙だなと…</p>
		</div>
	
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://www.instagram.com/p/BUjG6w9l10f/?taken-by=shinji.no.4401.no.1&hl=ja">
			<img src="https://scontent-nrt1-1.cdninstagram.com/t51.2885-15/s480x480/e35/18645654_821021651399003_9215227846853656576_n.jpg" width="100%">
			<small><b>奥尻ワイナリー　ピノグリ　2016
こないだの肉バルで出会い、気になりすぎてネットで購入
さぁいつ開けようか、何とあわせようか、妄想は妄想は膨らむばかり…
豚かな、鳥かな、魚でも(σ≧▽≦)σ

#ワ</b></small>
			<br>
			<small>奥尻ワイナリー　ピノグリ　2016
こないだの肉バルで出会い、気になりすぎてネットで購入
さぁいつ開けようか、何とあわせようか、妄想は妄想は膨らむばかり…
豚かな、鳥かな、魚でも(σ≧▽≦)σ

#ワイン #白ワイン #北海道ワイン #奥尻ワイナリー #ピノグリ</small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<p class="">ワイン自体は、もっといろんなものと一緒に飲みたいと思わせる</p><p class="">また、次も飲みたいと思わせる１本だと思う</p><p class="">マイワインリスト掲載決定！</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[ガストロノミ日記　自家燻ベーコンのソテー〜小夏っちゃんとともに〜]]></title><link rel="alternate" href="https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/2636953/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/423988c4f415acad3287b3d12e5fd80e_ec1407e38462d644e4e41953879def61.jpg"></link><id>https://hakoniwalabo.amebaownd.com/posts/2636953</id><summary><![CDATA[今日のメニューは自家燻ベーコンのソテー　小夏のソース]]></summary><author><name>ペタス</name></author><published>2017-07-09T04:19:06+00:00</published><updated>2017-10-29T01:15:20+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p class="">今日のメニューは自家燻ベーコンのソテー　小夏のソース</p>
		</div>
	
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://www.instagram.com/p/BV4WHd5lJOF/?taken-by=shinji.no.4401.no.1&hl=ja">
			<img src="https://scontent-nrt1-1.cdninstagram.com/t51.2885-15/s480x480/e35/19429181_139404406636568_7519541760159121408_n.jpg" width="100%">
			<small><b>ベーコンのバターソテー
小夏っちゃんとともにw

白ワインのがよかったかも(°▽°) #ベーコン #自家製 #手作り #燻製 #小夏</b></small>
			<br>
			<small></small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<p>今日のメニュー：自家燻</p><p>参考にしたレシピは↓</p>
		</div>
	
	<div>
		<figure>
			
		<a href="https://cookpad.com/recipe/4246350">
			<img src="https://img.cpcdn.com/recipes/4246350/1200x630c/f2bf7750b10efeef43ffd1725b68795f.jpg?u=2236465&p=1482209701" width="100%">
			<small><b>ハムのソテー☆オレンジソース♪ by sachi825</b></small>
			<br>
			<small>簡単！ハムは柔らかく、爽やかでコクのあるソースです♡サイドやオードブルになりがちなハムがメインの1品に！</small>
		</a>
		</figure>
	</div>
		<div>
			<p class="">・オレンジではなく、小夏（高知産、宮崎産は日向夏と呼ぶらしい）を使用</p><p class="">・白ワインではなく、料理酒で（ここのところ白が続いていたので、赤をかっていてそれしかなかったので代用）</p><p class="">今日の飲み物：チリ　ブードゥー　メルロー＆カルメネール　</p>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/423988c4f415acad3287b3d12e5fd80e_ec1407e38462d644e4e41953879def61.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77755/a0f7be03634a8748fdad6c8dadcd6b5f_67c5d88bf2e215461929547121d1de48.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<p>所感：</p><p>・料理：全体的な感想としては、おいしい！</p><p>一緒にソテーするキノコや野菜、または柑橘の種類でいろいろバリエーションを</p><p>楽しめそう</p><p>少し、バターが多いように感じた、このあたりは好みなので、調整必要</p><p>・マリアージュ：ミディアムボディとのことでもう少し軽めをイメージしていたが</p><p>想像よりも、タンニンがしっかりしていて、口の中がキュッとなる感じ</p><p>少しデキャンタージュするのもいいかも…？</p><p>料理との相性は…正直、白のほうが良かったかなと…</p><p>で、料理のほうにも、白を使えばさらに相性が良くなるのでは…！</p><p>次回は、ぜひとも白で合わせてみよう</p><p>今日も、美味しくごちそうさまでした</p>
		</div>
	]]></content></entry></feed>