HakoniWa戯言Vol.9HakoniWaマンダラを読み解く〜社会をガストロノミする〜

前回までは、HakoniWaマンダラにおける「世界」の切り口の4要素の内

一つめとして、専門分野を考察し、僕自身の「愉しむ」3本柱の一つとして

最も重要な、概念としての「ガストロノミ」を見てきた。

これは、極めてパーソナル、個人的な事柄、言わば内世界と呼べるものと言える。

内世界があるとすると、内に対して外があるのが世の常というもの。

それを、HakoniWaマンダラで「社会」という切り口で表現する。

もう少し、詳しく定義すると

・外世界

・目に見えるもの、実態のあるもの

・つまり、過去と現在

我々の眼前にあるものは、何か?

我々はどこに生き、暮らしているのか?

それが「社会」である。

その社会は現在、今ここに具現化されている社会というのは

人類が、我々の祖先が連綿と紡いできた歴史と、そうして培って

きた歴史に立脚して存在している。

この名のある、ない億千の意図があったにせよなかったにせよ

先人達の残してくれた、後世への最大遺物を愉しまない訳にはいかない。

そして、ここでこの「社会」をどのように愉しむか?

この社会に生きる一生活者として、いかに愉しむか?

そう「ガストロノミ」的視座で考え、ふと浮かび上がってきたのが...

愉しみの3本柱の2本目「リベラルアーツ」である。

リベラルアーツとはなにか?

これについても、いろいろな定義やそれについての書籍やサイト等々

いろいろあるが、ウィキペディアを参考にして僕なりに考えた。

ここに、「自由の諸技術」とある。

ここでいう自由とは、古代ギリシャにおける「自由人」と言える

「自由人」とは非奴隷であり、ウィキペディア内で、「何ものにも強制されず

自らの運命を自分で決めることができ、思いのままに生きる人もしくは人々。

(奴隷と対置)」と定義されている。

また、古代ギリシャでの自由市民のための諸技術と解釈できる。

自由市民とは↓

古代ギリシアのポリスや、共和制古代ローマにおける男性の自由市民は、政治に参画するとともに、兵士として共同体の防衛義務を果たした。彼らは都市国家の住民として「市民」と呼ばれた。とのこと。

つまり、参政権を持ち、共同体の防衛義務を果たす人、もしくは果たしている人は

自由人であるということ。

これは現代日本でいうと、参政権と防衛義務(これは実際に業務として防衛にあっている

人のみではなく、その防衛の費用たる税金を収めている人は広義に防衛に努めていると

解釈する)を担っているということは、それは国民、日本国民であるということに

ほかならない。


そうすると、リベラルアーツは、主権者のための技術(知識と知恵)と定義する

ことができる。

そうであれば、主権者のための知識と知恵とは何か?

知識の分野でいうと、政治と防衛というと何も政治的な権謀術策や軍事学のみを

いうのではなく、それこそ自然科学から、社会学、経済学等々の社会科学までも

包含される。

また、知恵つまり、実践や経験による叡智とするならば、歴史にほかならない。

つまりは、これまで教養とされてきたもの、近年ではあまり実用的ではないと

して、軽んじられるようなものが非常に重要であると考える。

「馬鹿とハサミは使いよう」とはよく言ったもので、教養もそう考えると

そのものを云々言うより、自らがいかにそれを使いこなすか、である。

この視座が、社会に対するガストロノミ的視座であると考え

この視座をさらによく考察するとともに

あわせて、いかにその視座を活かすか

社会にアプローチするかを考察していきたいと思う。

HakoniWa Labo

HakoniWa × ガストロノミ 「愉しみ」と「愉しむ」の研究所 “おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは心なりけり”

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