HaoniWa戯言Vol.15愉しみ/生きがいの考察−後世への最大遺物−

前回、愉しみを考察する上で、ふと湧いてきた、それでいてすっと腹落ちした

視座が、「生きがい」である。とした考察を書いた。

今回はその「生きがい」について思索を続けていきたい。

「生きがい」とは何か?

「人生の目的」≒「愉しみ(自分なりの愉しみ)×志」≒「生きがい」

まさに三位一体として、捉えることができる。

↑のような本を読んでみた。

内容の如何の論評についてはネットレビュー等に譲るとして

この本を読んで私自身が感じ、考えたこと、思ったこととしては

・論としての生きがいは必要か?

・普遍的な生きがいは存在しないのでは?

・普遍的な生きがいを論じるのもあまり意味を感じない

・生きがいなるものは、ひとそれぞれにあるものでその中身は千差万別

・生きがいの内容も人それぞれなら、生きがいを意識するもしないも

 ひとそれぞれである。

といったところで、普遍的な生きがい論を語ろうとするのではなく

どこまでも個人的なものとしての生きがいを考察していく。

そう、私自身の「生きがい」を考察する。

・生きがいとは何か?

 それは「意思」である、のではないかと考える。「方向性」といった性格もあるかもしれない。

 「人生の目的」とは問であり、「楽しみ」とは趣向、「生きがい」とは

 その人自らがこうだ、と考える意思のことだと思う。 

これらを前置きとして、

私自身の生きがいとは何か?

この考察を進めていくうえで、私の琴線に触れたのは↓

題名だけは昔から知っていた。
なぜかしら、手に取り読んでみた。

何か、この世に遺して逝きたい。

しかし、特段の才能、金を稼ぐ才も、事業を興したり、営む才も、著述や教育の才もあるわけではない。

それならば、そういった者にとっての最大遺物とはなんであるか。それは勇ましい高尚なる生涯であると思います。


まさに、我が意を得たり!という気分になった。

恥ずかしながら、自分自身、何がやりたいのかよくわからず、悶々としていたところに

フワッと灯った一筋の光明のようだった。

願わば求める解は自ずと引き寄せるのかなと…

その得た我が意の内容とは…

「後世へなにか遺して逝きたい」これが私の生きがいではなかろうか

 それは、幼いころ考えていたような自分の名前を残したいというような功名心ではなく

 たぶんそれは“献身”と呼ぶような心持ちからだと思う。

生きがい、まさに甲斐性、張り合いというのか、それがやっぱり人生の目的とも

とれるように、なにか私にとって甲斐性のあるもの、それが、後世へ遺しうることがしたい、

ということだと感じた。

では、それは何か?どうすればいいのか?

たかだか30数年だが、振り返ってみると、まぁ良いことも悪いこともあったけど

なんだかんだおもしろおかしく過ごすことができた。

それはひとえに、両親はじめ家族、友達、先輩後輩等のこれまでに関わってきた

方々皆のおかげと言える。

それに(勝手に)報いたい…しかし、どうやって?

そういえば、ある時、大変世話になっている地元の先輩と飲んだときにいつも

お世話になっているから、今日は僕が…という話をした時に

「俺にはエエから、下(年下)のモンにやったってくれ、お前がしてもらって良かった

思うことやったら、下のモンにしたったらエエ」

と言われたことが、ふと思い出された。


そこで考えた、金も金を稼ぐ能力も事業を興す才覚も器量も著作を著すような才能も

ない自分にとって、自分にとって良かったと感じるものを後世へ遺すものはなにか?

内村曰く、勇ましい交渉なる生涯という…その生涯を平々凡々たる私はいかに遺しうるか?

答えは自ずと見えた気がした。


そう、私は考える、私の考える後世への最大遺物とは「社会」である。

まさに、膨大な生涯の集積であるのが「社会」ではないか。

これまでの人生において感謝すべきは関係を持った方々、献身すべきはこの「社会」ではなかろうか。

「後世への最大遺物とはなにか?」なんて、厳しい問いに相応しい解ではないかと。

自分なりには、ストンと綺麗に肚に落ちてきたのだが…

しかし、一段落はついたが、これからはその後世への最大遺物たる「社会」へ

いかにしてアプローチするのか…

その考察を続けていく…

HakoniWa Labo

HakoniWa × ガストロノミ 「愉しみ」と「愉しむ」の研究所 “おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは心なりけり”

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